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2012年3月

震災から1年。これからも「太く長い支援」を続けていく決意

 あの震災から1年が過ぎた。

 今日は、各地で犠牲者追悼式が催され、テレビでが朝から震災関連の特集番組を報道している。東北地方は寒波に見舞われ、冷たい雨や雪のところが多くなっている。仮設住宅で暮らす人たちや震災・津波の被害が生々しく残るご自宅で暮らす人たち、そして、泣く泣く故郷を後にした人たちのことを思うと、胸が痛む。

 被災地を訪れる度、街は少しずつ片付いてきているようにも見えるが、実際には「がれき」の処理はまだ1割も終わっていない。東北地方の沿岸部の集積地に高く積まれた「がれき」の中には、あの日、一瞬にして消え去ってしまった思い出の品々がたくさん眠っている。

 陸前高田の戸羽市長が危惧していたように、「震災から1年」の今日を境に、段々、震災の記憶が遠くなり、被災地のことが忘れ去られていくことだけは、絶対に許してはならないと思う。

 震災後に何度か訪ねた被災地で、たくさんの人と出会い、お話をさせていただいた。東北人気質というのだろうか? 出会った人の多くは、寡黙で我慢強く、自分の事よりも周囲の人たちの事を気に病む人たちだった。支援の物資をお届けしても、「自分たちは大丈夫。どこどこのだれだれさんの方がもっと困っているはずだから、そっちに持っていってあげて」という言葉を何度も聞かされた。

 被災地に足を運べる人は、これから先も、何回でも足を運んでほしい。訪れるたびに、本当に少しずつでも、街の復興が進んでいる様子を見れば、それだけで元気をもらうことができる。

 被災地に出向くことができない人であっても、自分が暮らす場所に居ながらにしてできる復興支援のお手伝いはいくらでもある。たとえば、募金をすることもそのひとつかもしれないが、被災地で暮らす人たちの自尊心や誇りを思えば、もっとちがうやり方もあるように思う。

 障害のある人たちが働く作業所も、地震や津波、そして原発事故で大きなダメージを受けた。一番大きな痛手は、障害のある人たちの生きがいや誇りにつながる「仕事」そのものが激減したり、なくなってしまったりしたことだ。震災後、ようやく再開した作業所に、出てきても、「何もやることがない」「いくら製品をつくっても売る場所がない」。そんな苦悩を聞いて、被災地の作業所の製品を売る「物産展」を開催した。

 震災で明らかになった作業所の最大の弱点は、そもそも、経営という感覚に乏しく、震災のような危機に直面したときの「備え」がまったくなされていないということだ。

 どんな危機に直面しても、決して揺るがない経営基盤を確立させること。そのためには、「福祉」という狭い世界に閉じこもっているのではなく、地域の人々や企業と強固なネットワークを築き、外の世界に半身を乗り出して、自らを変えていくこと。そういったことの大切さや必要性を訴えていきたいと考えて、「コトノネ」を創刊した。

 「コトノネ」や「物産展」のとりくみを、自分自身は、是が非でも続けていかなければならないと考えるが、周囲から100%の理解を得ることの難しさも痛感している。

 とは言え、やはり、続けていかなければならない。震災後、初めて、「物産展」を開催するときに、口にした言葉。「細く長い支援」ではなく、「太く長い支援」を続けていきたい。震災から1年を迎えた今日、改めて、「太く長い支援を続けていく決意」を表明したい。

 その第1弾として、3月24日に、「ぽっぽ町田」で東北復興支援大物産展を開催します。

 同時開催で、「コトノネ」のカメラマンである岸本剛さんの写真展を開催します。

 詳しくは、下記チラシをご覧ください。

「20120324bussanntenn.pdf」をダウンロード

(天野)

  

 

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「希望の味噌」から「感謝の味噌」へ。被災地石巻でがんばる企業その1 『株式会社高砂長寿味噌本舗』さんをご訪問させていただきました

 JR仙石線の矢本駅で、「有限会社はらからネット」の舟山さんと合流し、企業訪問の前に、車で石巻市内を案内していただきました。

 「コトノネヤ」のブログで、株式会社ランドマークの田中さんが記事を書かれていた日本製紙石巻工場の煙突からは、この日も白い煙がもくもくと上がっていました。

 工場の煙といえば、普通は、あまり良いイメージはありませんが、田中さんに同行したカメラマンの岸本さんが言われるように、確かに「悪い感じ」はしません。むしろ、石巻の復興に向けての「狼煙」といった感じでした。

 製紙工場を背に旧北上川に向かう住宅街には、1階部分が損傷を受けたが、辛うじて、2階部分が残った住宅で、生活されている方も大勢いらっしゃるということでした。2階のベランダに洗濯物や布団が干されている住宅を何軒か見ました。

 旧北上川の河口に架かる日和大橋を渡って、工場や市場、水産加工場が立ち並んでいた湊地区に入ると、瓦礫こそ片付けられたものの、ここは殆どまだ何も手付かずといった状態です。昨年10月に訪ねたときに驚かされた、木の屋石巻水産の巨大な缶詰のモニュメントもまだ中央分離帯に取り残されていました。

 旧北上川の中瀬にある石ノ森漫画館もまだ閉鎖中です。石ノ森章太郎さんの漫画の登場人物の像がいくつも見られる石巻駅周辺も、まだあちらこちらに被害の痕跡が見られますが、営業されてているお店も多くあり、車や人が予想以上に行き来していて、賑やかさを感じました。

 三陸道の矢本インターチェンジで、宮古から来たチームと合流し、株式会社高砂長寿味噌本舗さんの東松島工場をめざしました。

 3階建てのお洒落な蔵造りの工場は、自然に恵まれた高台にありました。隣りの敷地にある同じ蔵造りの工場は、宮城を代表するお酒の「浦霞」さんの醸造工場だそうです。工場のすぐ近くには、2000人くらいの方が暮らす大規模な仮設住宅がありました。

 ここで、昨年の10月に石巻のお店でお会いした社長さん、専務さんの懐かしいお顔に再び、お会いすることができました。

 3月のパワーアップフォーラムでは、「高砂長寿味噌」さんと「はらから福祉会」さんとのコラボレーションについて事例を報告していただく予定です。

 高砂長寿味噌さんと、はらから福祉会さんの出会いは、あの震災がきっかけです。希望の缶詰とセットで販売された希望の味噌が両者をつなぐきっかけになりました。「被災した企業が一番必要としているのは現金だ」と、高砂長寿味噌さんの商品をキャッシュで買い取ったはらから福祉会の武田理事長の行動に感激した専務さんが、はらから福祉会の事業所を見学され、一生懸命に働いている障害のある人たちの姿に感銘を受けたことと、充実した機械や設備に驚かれ、これならいっしょに組んで、商品開発ができると考え、その後、様々な商品開発を進めてこられました。

 パイプ役となった「はらからネット」の舟山さんは、震災直後から何度も石巻に足を運び、こうした新たなつながりをつくりだす努力を続けてこられています。この日、社長が、舟山さんに「今日できたばかり!」と差し出したのが、共同開発した商品に貼る、「高砂長寿味噌とはらから福祉会のロゴがコラボしたシール」でした。

 高砂長寿味噌さんでは、月に1回、工場前でイベントを開き、仮設住宅で暮らす方々のために、「炊き出し」をおこなっていらっしゃるということでした。次回のイベントには、はらから福祉会さんも「炊き出し」に参加するとのことでした。

 震災後、再開した東松島工場で仕込んだ味噌は、半年間の発酵熟成期間を経て、完成し、「感謝の味噌』と名付けられました。被災後、寄せられた多くのお客様からの再開を期待する応援メッセージが、「希望」につながり、「希望」へのご恩返しの意味で、「感謝」と名付けられということです。

 「お互いに持てる力を出し合って、復興への道を歩んでいきたい」

 たくさんのお土産とともに、10月に訪ねた際に、撮っていただいた写真を頂戴しました。

 絆を大切にする社長さん、専務さんのお心遣いをとてもありがたく思いました。

 ヤフージャパンの「復興デパートメント」のサイトで、高砂長寿味噌本舗さんが紹介されています。高砂社長ご自身がお話されている映像もありますから、ぜひ、ご覧になってみてください。

 株式会社高砂長寿味噌本舗と社会福祉法人はらから福祉会とのコラボレーションに関する事例報告は、3月31日に仙台で開催する公益財団法人ヤマト福祉財団主催の「スペシャルパワーアップフォーラム」でお聞きになることができます。また、コラボ商品のお土産もついています。

 参加ご希望の方は、ヤマト福祉財団のサイトから、お申し込みになれます。先着250名で申込受付は終了となってしまいますので、なるべく、お早めにお申し込みください。

 

(天野)

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静寂と内省の時間を乗せて走る代行バス

 2月28日、29日の2日間で、東北の被災地で復興に向けて、がんばっていらっしゃる3つの企業さんをご訪問させていただきました。

 今回の訪問の目的は、3月31日に仙台駅前にあるTKPガーデンシティ仙台で開催させていただく「東日本大震災から1年。被災地の障がい者の働く場スペシャルパワーアップフォーラム」(公益財団法人ヤマト福祉財団主催)の事例報告で、ご出演いただくことに対する御礼と、ご挨拶をさせていただくことでした。

 新しい障がい者の働く場の復興の姿を描くことを目的に開催するこのフォーラムの午後のプログラム「事例報告:ピンチをチャンスに!~企業とのコラボレーションが生みだす新たな可能性~」の中で、企業と福祉施設が共同で商品開発や市場開拓にとりくんでいる事例を報告させていただき、参加者の方々といっしょに、地域や施設の復興に向けての新しい可能性を探っていきたいと考えています。

 28日は、石巻の企業さんを訪ねました。

 仙台(あおば通り駅)と石巻(石巻駅)を結ぶJR仙石(せんせき)線は、震災による津波の被害を受けて、高城町(たかぎちょう)駅と矢本(やもと)駅間が今も不通になったままで、1時間に1本の代行バスが運行されています。

 今回は、この代行バスに乗り、石巻に向かいました。高城町の代行バス停留所が駅前から離れているため、バスは1つ手前の松島海岸駅から約30名のお客さんを乗せて、出発しました。

 松島は観光客も少しずつ戻り始めているようで、小雪まじりの天気でしたが、松島海岸駅では、40~50名のお客さんが降りました。バスの窓からも、営業中の土産物屋を何軒か見ることができました。日本三景にも数えられる松島は、風光明媚な観光地です。被災地を元気づかせるためにも、機会があれば(否、機会をつくってでも)、ご旅行されてみてはいかがでしょうか?

 代行バスは、停留所ごとに、律儀に停まっては、ドアを開閉させますが、お客さんの乗り降りはほとんどありません。

 バスは、陸前大塚駅の手前から線路に沿って、海辺を走ります。陸前大塚駅は、ホームの目の前に松島湾が広がっていました。この先の東名(とうな)駅と野蒜(のびる)駅の間では、震災時、津波により4両編成の上り電車が押し流されました。くの字に折れ曲がった電車の写真や映像が記憶に残っている方もいらっしゃると思います。

 地震で緊急停止した電車から、乗務員の指示に従い、近くの小学校の体育館に避難した後、避難所が津波に襲われ、亡くなった方もいらっしゃいます。同じ時間に野蒜駅を出発した下り電車も同じように、緊急停止しました。停止した場所が丘の上で、乗り合わせた地元の方が、「車内に残った方が安全」と乗務員の避難誘導を制止し、指示に従ったことで、乗客・乗務員ともに全員が命をとりとめることができました。

 地元の方が乗っていらっしゃるバスの車内からカメラを向けることはとてもできませんでした。この辺りは、まだ被害を受けた家屋がたくさん残っていました。

 JR東日本では、陸前大塚駅から陸前小野駅までの区間を内陸部に500メートルほど移設して、復旧させることを決定しています。

 震災前、仙台ー石巻間を最速1時間で結んでいた仙石線ですが、松島海岸ー矢本間の18.2キロ(鉄道営業距離)を代行バスは約1時間かけて走ります。平時であれば、海沿いを走るバスの旅は、きっと心躍る旅になったことでしょう。しかし、車内の誰もが押し黙ったまま、静けさだけを運ぶ1時間は、とても長く感じられました。

Daikoubus

(矢本駅前に到着した代行バス)

 長くなりましたので、訪問先企業の様子は、次の記事に掲載させていただきます。

(天野)

 

 

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