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「生活の思い出がつまったこれらを『瓦礫』と呼ぶことはできない」とマスターはぽつりと呟いた。~『コトノネ』第2号の取材で訪ねた岩手県宮古市の光景から~

 前回のブログで、ご紹介した「カリー亭」さんのある岩手県宮古市は、震災後、私が初めて訪れた被災地のひとつでした。

 あまりの惨状に、カメラを向けることもできず、写真こそ1枚もありませんが、今でもあの光景は瞼の裏に焼き付いています。

 10か月に訪れた町の印象を、ウィズ町田の広報紙に記してみました。一部抜粋して、このブログに掲載します。

(ウィズ町田 広報紙「With №47」より)

 東日本大震災から。11ヶ月経った岩手県宮古市を訪ねました。

 震災後の昨年3月末、支援物資を積み込んだ車で、遠野市から釜石市の中心市街地に入ると、そこには信じがたい光景が広がっていました。

 木っ端みじんに破壊された木造家屋、躯体のみが残ったコンクリートの建物、異様な形に押しつぶされた車、折れ曲がった電柱に絡みついた漁具、打ち上げられた漁船…。

 釜石市から海沿いに国道45号線を大槌町、山田町、宮古市へと北上しました。

 鋸の刃のようにギザギザに入り組んだリアス式海岸の地形は、入り江にある平野部には町が栄え、町と町の間には険しい山が海岸まで迫り、かっては陸路での移動が困難であったといいます。

 人家のない山越えの道は、おそらく震災前と大きくは変わらないでしょう。しかし、一山越えて、町や集落に入る度に、目にする光景はまるで戦場の跡のようで、言葉も感情も凍りつくような凄まじさでした。

 支援物資を届けた宮古市立鍬ケ崎小学校の避難所は、校庭まで津波が押し寄せました。車を降りて、歩いた港までの道の両側には「がれき」の山がうずたかく積まれていました。

 よく観ると、その中には衣類や食器、本やアルバムなど、生活の匂いが染みついたものがいくつも交じっていました。とても一括りに瓦礫などと呼べないそれらの品々の持ち主を思い、心の中で何度も手を合わせながら、重い足取りを進めました。

 あれから10カ月。『コトノネ』第2号の取材のために降り立ったJR山田線・宮古の駅前は、津波の被害を受けていないこともあり、「ここが被災地?」と、思えるほど長閑な佇まいを見せていました。

 取材先の『カリー亭』さんは、国道45号線が宮古の市街地に入る手前にありました。

 昨年3月にこの道を辿った時には、すでに営業を再開していたということですが、当時、車線が半分になった国道の両脇は「がれき」で埋まり、その陰に隠れて見落としてしまっていたのかもしれません。

 市街は一見、平穏さを取り戻しているようにも見えますが、マスターの小幡さんに案内されて、歩いた港には、津波の爪痕がまだ生々しく残っていました。

 何より港近くの埋め立て地に集積された膨大な「がれき」の量には、復旧・復興までには本当にまだまだ長い歳月を必要とすることを思い知らされました。

 「生活の思い出がつまったこれらを『がれき』と呼ぶことはできない」と、ぽつりと呟いたマスターの言葉が心の奥底に深く響きました。

(以下、略)

Miyako01

(港にある倉庫の屋根は、津波の強烈な引き波により、

果物の皮をむいたようにめくれあがっていた)

Miyako02

(埋め立て地の「がれき」集積所では、大型重機が何台も稼働しているが、

この山がすべて消える日は、一体いつになるのだろうか?)

Miyako03

(新しい防潮堤をつくる工事も進められている。

この巨大な構造物を、陸地で組み上げた後、海に運ぶという)

Miyako04

(大量の貝が付着した大木の残骸。

こんな大木が津波で海に運ばれ、また引き上げられたのだろう)

 障害者施設の復興支援や、『コトノネ』の取材で、被災地に足を運び、被災地で暮らす人たちにお話を伺う度、復旧・復興への道のりの遠さと、それに反して、被災地以外では、段々、震災の記憶が薄れていこうとしていることとのギャップに心が苦しくなります。

 だからこそ、「伝えつづけていくこと」の大切さを一層、感じます。

 昨年3月に被災地を初めて訪問したあの時、あの光景に、カメラを向けることができなかった自分を、今になっては、少し恥じる気持ちが芽生えています。

 来週は、3月31日に開催するヤマト福祉財団取材の「パワーアップフォーラム」の実行委員として、宮城県石巻市と、福島県南相馬市を訪ねてきます。

(天野)

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 『コトノネヤ』へのアクセスは、こちらまで。

 

 

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