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「陸前高田市から『ノーマライゼーション』という言葉をなくしたい」という戸羽市長の復興への熱い思いに大感動

 岩手県 陸前高田市を訪問させていただきました。

 今回の訪問の目的は、来年1月に創刊予定の雑誌『コトノネ』の取材で、戸羽市長にインタビューをさせていただくことでした。

 

 戸羽市長の著書『被災地の本当の話をしよう』(ワニブックスPLUS新書)には、大津波に襲われたあの日の様子が克明に綴られています。

 市長ら127名の方がが、なんとか津波から逃げるようにして、屋上まで駆け上がった陸前高田の市庁舎は、今も生々しい傷跡を残したままです。祭壇が設けられた玄関の奥には、玄関を突き破って、押し流されてきた自動車が2階への階段をふさいでいます。

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 祭壇横にポツンと取り残された車いすの上には、水に浸かり、ボロボロになったアルバムが1冊。車いすの周りには、赤いランドセルが3つ置かれていました。きっと、この場所を訪れる人が多く、もしかすると、それらの品に縁のある人が現れるかもしれない、そういう方の手に届けたいという悲壮な願いがこめられているのだと思います。

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 市役所の前には、原形をとどめないほどぐちゃぐちゃになった自動車の残骸が何台も積まれています。8月に訪れた頃に比べれば、少なくなったとはいえ、まだまだ大きな「ガレキ」の山がいくつも見られます。「ガレキ」という言葉を話したり、書いたりするたびに、いつも心がざらざらします。

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 「これまで、どんな大きな津波が来ても、絶対に線路を超えることはなかった」と言われていたJR大船渡線の線路も引きはがされ、開業以来80年近くあった趣のある陸前高田の木造駅舎も跡形なく消滅してしまいました。

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 駅舎の傍らにあった大木も無残にも二つにへし折られてしまいました。向うに見える県立高田病院も、あの日は、津波に襲われ、屋上では孤立した100名以上の方が、雪の降る中、凍える一夜を明かされたということです。

 プレハブの仮設市庁舎でお会いした戸羽市長は、想像していた何十倍、何百倍も素晴らしいリーダーでした。公務の大変お忙しい中、1時間30分もの時間を割いて、インタビューに応じてくださったのも、震災から9カ月近く経ち、徐々に被災地の実情を伝える報道や記事も少なくなってきている中、「まだまだ被災地の復興は緒についたばかり」「真の復興まで被災地のことを忘れないでいてほしい」「継続的な支援をお願いしたい」というお気持ちがあってのことだと思います。

 市長自身もご家族を失くされたという辛い状況の中、「自分よりももっと辛い思いをしている職員や市民の方がいらっしゃる」と、常に周囲を気遣い、思いやりながら、復興のトップに立ち、獅子奮迅のご活躍をされていることに、尊敬の念を禁じ得ません。インタビューにお応えいただいた言葉のはしばしに強い使命感と人間としての温かさ、大きさを感じました。

 詳細は、『コトノネ』創刊号の第1特集「(仮題)再生から、共生へ。 岩手県・陸前高田 戸羽太市長インタビュー」の紙面を楽しみにお待ちいただければと思いますが、私が一番感動したことをこのブログで紹介させていただきます。

 これから8年間で陸前高田の復興を成し遂げるという計画の中で、陸前高田で暮らす障害のある人たちにとっても、暮らしやすい町づくりを考えていきたいというお話をいただきました。それは、「私(戸羽市長)は、陸前高田から『ノーマライゼーション』という言葉をなくしたい」という言葉で語られました。

 私自身、これまで行政のトップの方から、これだけ熱く真摯な福祉への思いを聞いた経験はなく、本当に涙がこぼれそうになりました。

 それだけでも素晴らしいことなのに、今朝、戸羽市長ご自身がフェイスブックで、次のような思いを発信されたということを知り、本当に驚きました。

「おはようございます! 先程、庁内に設置されている震災復興本部会議を開催し、復興計画案を話し合いました。これまで市民の代表者や学識経験者など50名による検討委員会の承認を頂くなど手続きを経てきた計画案でありますが、私から1点だけ指摘、追加をさせていただく提案をいたしました。

 それは障がい者の皆さんに配慮したまちづくりについてです。私の選挙公約でもあったのですが、私には陸前高田市から『ノーマライゼーション』という言葉をなくしたいという思いがあります。若い時のアメリカ生活の中で、『アメリカってすげぇな!」と思ったのは、ディスコ(今どきはクラブ?でしょうか)やバーのようなところへ行くと、車いすの方などがあたりまえに踊ったり、お酒を飲んだりしていたことです。これは、お店の造りが車いすの方々が利用しやすいように造られていることもそうですが、障がいをお持ちの方々の意識の問題もあると思います。

 この度の被災により陸前高田市は壊滅的な被害を受けてしまい、すべてのお店や施設はなくなってしまいました。この機会だからこそ、お店を造られる方や商店街の方々に理解を頂き、バリアフリーのお店にしてもらい、障がいをお持ちな方々にも積極的に町に出てもらうようにする。そのことで、陸前高田市からノーマライゼーションという言葉をなくしていく! 素晴らしいことだと思いませんか?

 陸前高田市の復興計画の中で『世界に誇れる美しいまちをつくります』という目標があります。景観の美しさもとても大事ですが、市民の心の美しさもとても大事だと思っています。

 今日は来客や会議の合間に長々と書きましたので、文章がかなり拙いものになってしまいましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございます!」

 

 市長自身が発信されたこの言葉は、陸前高田で暮らす障害のある人たちや家族の方がにとっては、何よりも心強いエールであると思います。

 戸羽市長が、市長になられたのは、あの震災が起こるわずか1か月前。「この人がトップであれば、どんな困難も乗り越えられる」という、何か運命的なものを感じます。

 陸前高田が1日も早く復興を成し遂げ、景観も、そこで暮らす人々の心も、世界に誇れる美しいまちになることを心から願いつつ、私たちもできる限りの応援をし続けていく気持ちを一層強くした今回の訪問でした。

 戸羽市長をはじめ、大変丁寧なご対応をいただいた陸前高田市役所の皆様、市長とのアポイントメントでお骨折りをいただきました陸前高田市の障害者施設「あすなろホーム」の皆様、町田市の「鶴の羽の会」の皆様に心よりお礼申し上げます。

 今日もブログを最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(天野)

 

 

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