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2011年12月

情報誌『コトノネ』創刊号の中身をご案内。障害者福祉から、FC町田ゼルビアまで、情報満載。

 昨日に続いて、来年、創刊する情報誌『コトノネ』の話です。

 Kotonone

 Webサイト(作成中です)の画面の左側が、記念すべき『コトノネ』創刊号の表紙です。

 創刊号にぴったりのとびっきりの笑顔で表紙に登場してくれたのは、福島県郡山市のにんじん舎の会で働くOさん。

 さぁ、ここから順にページを繰っていきましょう。

 まず、最初は、グラビアページ。

 コトノネグラビア 「生きる。」№1 風の中にひとり。(6ページ)

 写真家の岸本剛さんの写真と文で、福島、宮城の作業所で働く素敵な人たちが6名登場します。

 続いて、特集1。

 岩手県陸前高田 戸羽太市長インタビュー 「再生から、共生へ。」(7ページ)

 一瞬にして、津波が、いのちを、街を、くらしを連れ去った。愛する人が埋もれているかもしれないのに、すべてひっくるめて瓦礫と呼ばれる切なさ。…津波を乗り越え、鎮魂の想い深く、戸羽市長は「八年後の暮らしづくり」に歩み出した。

 特集2からは、障害者施設特集

 「福祉の名のもとに、ビジネスを忘れていないか。」 三者鼎談 有富慶二×西澤心×天野貴彦(8ページ)

 福祉施設の経営者が、福祉だけの仕事をすればいい時代はもう終わった。…これからの、本当の障害者福祉とは。 

 特集3は、

 「利用者工賃七万円の旗のもとに立ち上がれ。」 社会福祉法人はらから福祉会 武田理事長ロングインタビュー(10ページ)

 「もう待ったなしだ」と武田さんは言う。いつまた、大きな震災が起こるかもしれない。一刻も早く、障害者の自立を図っておかなくてはいけない。…そのために、障害者施設は何をすべきか。…武田さんの熱いメッセージを受け止めてほしい。

 読み応えのある特集が3つ続いた後は、グラビアページでほっと一息。

 コトノネグラビア 「生きる。」№2 空飛ぶ十兵衛。(6ページ)

 写真家の石川梵さんが、愛犬の十兵衛と旅した被災地。

 続いての読み物は、事例紹介。

 「震災が生んだコラボ。」VOL1(6ページ)

 困難な状況を乗り越え、立ち上がろうとするとき。それまでには考えられなかったような新たな「つながり」が生まれた。…

 VOL1では、宮城県・「はらから福祉会」の事例を紹介します。

 事例紹介の間にグラビア。

 コトノネグラビア「生きる。」№3 「潮騒に背を向けて。 陸前高田のこどもたち。」(6ページ)

 写真家の今村拓馬さんの写真と文で、陸前高田のこどもたちの姿を紹介します。

 「震災が生んだコラボ。」VOL2 (6ページ) 

 YOL2では、福島県南相馬市の「南相馬ファクトリー」と郡山市の「にんじん舎」の事例を紹介します。

 ここで、被災地の障害者施設で製造・販売している商品の紹介ページが3ページ入ります。(Webサイトと連動して、ご注文を受け付けるしくみをつくる予定です)

 続いて、被災地の復興を支援する側の事例紹介。

 「いつでも、どこでも、おいしい応援!」 「東北物産パッケージ」で、被災地の障害者就労支援施設を支える。(4ページ)

 ウィズ町田が提唱している、たとえ被災地に行くことができなくても、居ながらにしてできる復興支援のとりくみを紹介します。

 「コトノネ」カルチャー・コラムのコーナー。

 ある演劇プロジェクトが問いかける、震災後の「ことば」、そのあり方。(2ページ)

 続く、ミニ特集では、来季からJ2昇格を決めた、JFL(ニホンサッカーリーク)加盟のFC町田ゼルビア所属の酒井良選手が、被災地のこどもたちのために立ち上げた支援プロジェクト「酒井プロジェクト」を紹介します。

 「何かをせずにはいられなかった。」FC町田ゼルビア「酒井プロジェクト」(4ページ)

 創刊号の最後を締めくくるのは、上の「酒井プロジェクト」を通じて、知りあうことのできた福島県南相馬市の末永さんに、ご寄稿いただいた壮絶な記録。

 「今日も、南相馬はいい天気だ。」(6ページ)

 三月一一日に起きた事故で、原発から三〇キロ圏内に住む、約八万人に避難指示が出された。その中の一人である末永さんが綴る、福島第一原子力発電所から二一キロ地点にある大甕(おおみか)小学校、「復活式」までの父娘の記録。

 巻末に、昨日、掲載した、私の『コトノネ』創刊への思いの文章と、里見編集長の編集後記があり、これで、全80ページとなります。

 創刊号は、昨日もご案内の通り、独立行政法人福祉医療機構(WAM)様の、社会福祉振興助成事業の助成金をいただき、作成しますので、ご希望の方に、無償でお届けします。

 ご希望の方は、「コトノネ創刊号希望」と明記の上、ご住所とお名前を下記メールアドレスまで、ご連絡ください。

 s-raimu@nifty.com

 最後まで、お読みいただき、ありがとうございます。

 皆様にとって、来る2012年が良いお年になることをお祈りしております。

(天野)

 

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来年、新しい情報誌を発行します。名前は『コトノネ』

 来年1月に、ウィズ町田から、新しい情報誌を発行します。

 この情報誌は、『コトノネ』という名前で、この先、季刊誌として年4回発行を続けていきたいと考えています。

 1月末発行予定の『コトノネ』創刊号は、独立行政法人福祉医療機構(WAM)様から、社会福祉振興助成事業の助成金をいただくことができたので、1万部をすべて無償配布させていただきます。

 『コトノネ』創刊への思いを、創刊号の巻末に記させていただきました。1000字という制限があるため、十分にお伝えすることができていないかもしれませんが、雑誌を創刊する目的を知っていただくために、転載します。

『コトノネ』創刊への思い

「コトノネ」発行責任者 天野貴彦(社会福祉法人ウィズ町田理事長)

 東日本大震災は、被災地に甚大な被害と深刻な不安をもたらしました。

 自然災害は、老若男女、障害のあるなしを問わず、すべての人々に同等に降りかかってきます。しかし、時間の経過とともに、もっとも深刻な影響を受けるのは、お年寄りや子供たち、障害のある人など社会的弱者と呼ばれる人たちです。

 被災地の障害者や施設も大きな被害を受けました。津波で流失、損傷した施設、亡くなった人、一命は取り留めたものの、家族や自宅を失った人、放射能汚染による避難指示に従い、生まれ暮らした故郷を後にした人もいます。

 一方、震災直後から、被災地の障害者施設では、活動の再開や事業の復旧・復興に向けての不断の努力が続けられています。

 『コトノネ』創刊の目的は、「東日本大震災により被災した障害者施設、とりわけ、障害のある人たちが働く場として機能してきた就労支援施設(授産施設)の事業復興のお手伝いをさせていただくこと」 そして、「被災地以外も含めた障害者施設、就労支援施設全体が、今回の震災のような危機的状況に直面しても、決して揺るぐことのない事業経営の基盤確立のための経営改革に関する様々な提案をおこなっていくこと」の二点です。

 「コトノネ」の「コト」とは「事」であり、「言」や「異」でもあります。それらが入り混じりあいながらくらしに様々な「音色」を表現していく。震災という実際に起きてしまった「出来事」から決して目をそむけるのではなく、困難を乗り越え、新境地を切り拓いていくために、今まで「異」であった人々とも、積極的に「言葉」を交わし、新たな「ハーモニー」を紡ぎだしていく、障害のある人たちが活き活きと働くことができる場をつくりだすことで、障害のあるなしを問わず、すべての人々のくらしを元気にしていく、こうした前向きで創造的な営みに一助を果たしていきたいと考えております。

 私たちが、被災地の人たちと手を携え、共にめざすべき未来は、単に震災前の状況を再現するだけの「復旧」ではありません。どんなに危機的な状況を迎えても、それを跳ね返すだけの力を備えた新しい仕組みをつくりあげるという意味での「復興」です。その仕組みのあり方を、読者の皆様と共に考えていきたいと願っております。

 『コトノネ』創刊にあたり、多くの皆さまからのご理解とご協力をいただきましたことに心より感謝申し上げます。そして、一日も早い被災地の「復興」を心からお祈り申し上げます。

 1月末には、『コトノネ』とリンクしたWebサイトも立ち上がる予定ですが、それまで、このブログで、何回かに分けて、『コトノネ』創刊号の内容等についてお伝えしていきます。

Kotonone  

 作成中のWebサイトの画面です。左の写真が『コトノネ』創刊号の表紙です。

 創刊号の体裁は、B5判80頁オールカラーになっています。

 現在、創刊号を配布する名簿づくりを進めています。全国の障害者施設や、ハローワーク等の就労支援機関、特例子会社、特別支援学校、自治体の障害福祉担当部等に、贈呈させていただく予定です。

 個人の方でも、「創刊号をぜひ読んでみたい」という方がいらっしゃいましたら、下記まで「『コトノネ』創刊号希望」と明記の上、ご住所とお名前を、ご連絡ください。

s-raimu@nifty.com

 長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 今後ともよろしくお願いいたします。

(天野)

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「みんなでささえあってきた体験が、きっと今後に生きてくるにちがいない」という気持ちを強くした「安居楽業ゼミナール ささえる」の研修会

 12月15日、16日の2日間、きょうされん主催の「安居楽業ゼミナール ささえる」に参加しました。全国から約120名が参加しし、2日間にわたる講義の中では、幅広い分野の方からお話を伺うことができました。

 私(竹内)が最も印象に残ったのは、南相馬市の「デイさぽーと ぴーなっつ」施設長の郡信子氏、「石巻地域総合生活支援センター」の村上仁氏、神戸市の「社会福祉法人かがやき神戸」理事長の池山美代子氏の3名をシンポジストに迎え、企画されたシンポジウムでした。ここでは、障害のある人を「ささえる」という観点から、3月11日に起きた東日本大震災、そして、16年前の阪神・淡路大震災を振り返り、さまざまな報告や問題提起がなされました。

 「らいむ」やウィズ町田も、東日本大震災の直後から、法人職員を交代で、被災地の施設やJDFみやぎ支援センターに派遣し、支援をおこなってきています。法人職員からの報告は受けていましたが、被災された立場からの生々しい報告をお聞きすると、改めて、被災地で暮らす障害のある人や職員には、今なお、現在進行形で「心の傷」や「戸惑い」、「不安」があつことを強く感じさせられました。

 3名のシンポジストの方が共通して、お話してくださったのは、被災して、大変困難な状況にある中で、多くの人々の「ささえ」や「後押し」があったこと。それがあったおかげで、「自分たちはひとりではない」「全国とつながっている」という安心感を持つことができたということです。

 震災直後、妊娠中の職員が激しい揺れの中、医療的ケアが必要な障害のある人をベッドの上に覆いかぶさるようにして、命がけで守ったこと。

 避難経路を確保するために、職員が出入口のドアを開けると、閉めてしまおうとする重度の自閉症の方が、パニックにならないよう必死になだめたこと。

 大混乱の中、わが身の安全よりも、障害のある人たちの安全を気遣った職員の人たちの行動力や決断力を本当に素晴らしいと思いました。

 震災後に発生した原発事故により被害に追い打ちをかけられた南相馬市では、ある夜、行政から3つの選択肢の通告を受けました。

 ①は、バス45台を準備したので、避難を希望する住民は明朝8時に集合場所に集まること。

 ②は、ガソリン10リットルを支給するので、各自で避難すること。

 ③は、水道、ガス、電気の使用は可能な状態なので、そのまま残って生活すること。

 行政にとってもギリギリの対応であることは理解できますが、健常の人でもとっさに判断することは難しい選択であり、障害のある人や家族の多くは、結局、残らざるをえない状況になりました。

 避難所の生活を受け入れることが難しい重い障害のある人たちは、避難所を出て、自宅や車中で過ごすことになりました。仮設の入浴設備があっても、慣れないお風呂に入ることができない人、不安が強まり、パニックや自傷行為が激しくなる人など、日が経つにつれて、深刻さは増し、障害のある人や家族のストレスも限界に近づきました。

 まずは日中だけでも、安心して過ごせる場所を再開したいと、行政に施設や作業所の再開を申請しましたが、なかなか受け入れてもらえず、さらに苛立ちがつのりました。

 そうした状況の中で、JDF支援センターふくしまが、自主的な再開に向けて、背中を押すようにささえてくれたことが何よりも嬉しく、力になったといいます。

 現在、生活の基盤は、少しずつ整ってきてはいますが、一番大事な収入を得るための仕事がない状況が続いています。「仕事」をつくりだすために、南相馬の8つの障害者事業所が共同して、JDF支援センターふくしまの力を借りて、「南相馬ファクトリー」という事業を立ち上げました。

 ここでは、障害のある人が、働く喜びや仲間といっしょにいる喜びをかみしめながら、日々、「缶バッジ」製造などの作業にとりくんでいます。「らいむ」でも支援活動の一環として、この「缶バッジ」を取り寄せ、販売しています。ご協力していただける方がいらっしゃいましたら、ぜひ、お問い合わせください。

 震災は辛く、悲しい体験であったが、障害のある人もない人も、利用者も職員も関係なく、みんなでささえあってきた体験が、きっと今後に生きてくるにちがいないという言葉に希望を感じました。

 まだまだ語り尽くせないほど内容の濃い2日間でしたが、この研修に参加させていただいたことで、被災地の復興にむけて、私にできる支援を精一杯させていただきたいという気持ちが強くなりました。また、障害のある人の思いや願い、暮らしに寄り添うことのできる支援者になれるよう一層、努力していきたいと思いました。

(竹内 広美)

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今季、ゼルビア屋台村でスワンをご愛顧いただいた皆様に心より感謝申し上げます

 FC町田ゼルビアが昇格を決めた12月11日の野津田のホームゲームを観戦にいらっしゃった方のブログで、ウィズ町田の事業所(「スワン」と「とうふ菜園」)の商品についてお褒めの言葉をいただきました。

 http://plaza.rakuten.co.jp/yohhohho2006/diary/201112110000/

 関係事業所の職員たちに早速、この方のブログを閲覧するように指示しました。ブログを観た職員たちからは、「疲れが吹っ飛んだ」「明日からまたがんばろうという元気が湧いてきた」という感想が私のところに届きました。

 3年前から、FC町田ゼルビアのささやかなスポンサーとして、野津田のホームゲームの際に、スワンの出店をさせていただいています。最初の頃は、売上の予測も不十分で、ゲーム後に大量に売れ残ったパンを、フロントやクルバの皆さんにお願いして食べていただくこともありましたが、J昇格に向けて、盛り上がってくるに連れて、お客様もどんどん増え、5千、6千入ったときには、キックオフ前に売り切れてしまい、ご迷惑をおかけしてしまう日も出てしまうようになりました。

 11月27日の高崎戦がまさにそんな状態でしたので、12月11日の最終戦は、職員が徹夜して、パンを焼き、十分な量を揃えて、ゲームに臨みました。おかげさまで、ゼルビアの販売では過去最高の売上をあげることができました。

 ゼルビアの屋台村の充実ぶりは、JFLでは屈指のものと、他チームのサポーターのブログでもしばしば紹介されています。スワンもそうですが、他の出店者の方たちも、なんとかしてゼルビアのゲームを盛り上げよう、遠くから山奥の野津田に来てくださる他チームのサポーターの方にも喜んでいただこうと考えています。その意味では、選手同様に、町田の名に恥じることのないよう精いっぱいがんばっています。(戦っている?)

 だから、冒頭で紹介させていただいたブログように、ゼルビアのゲームを観戦された方からお褒めの言葉をいただくのが何よりも嬉しいことです。本当に疲れが吹っ飛んで、元気が湧いてきます。

 私も時間の許す限りは、当日の販売のお手伝いをするようにはしていますが、キックオフの時間が近づくにつれ、気もそぞろになってしまいます。そんな雰囲気を察してか、「天野さんはそろそろゲームを観に行ってください」と気遣ってくれる職員たちに、いつも本当に感謝しています。職員たちもホームの試合がなかなか観られない分、近場のアウェーゲームにはちょくちょく顔を出しているようです。

 少し話は変わりますが、ウィズ町田では、昨年度、法人のCIとして掲げた「ディーセント・ライフの実現」(※ディーセント・ライフとは、人として尊厳のある労働とゆたかな暮らし)をめざすべく、事業所のリーダーとなる管理者研修を定期的におこない、その都度、レポート提出を求めています。直近の研修では、「プランニングの考え方と手法」をテーマに研修を実施しました。

 ゼルビアの屋台村で、そして、普段のお店で、スワンの職員たちが、どんな思いでお客様に接しているかを知っていただきたくて、スワン町田店の副店長が書いたレポートをちょっとだけ、ここで紹介させていただくことにしました。

 …

 普段のメンバー(※スワンは、障害者自立支援法に基づく、就労継続支援事業A型という福祉施設なので、ここでいうメンバーは障害のある人)を見ていて思うことは、みんな、いつも一生懸命仕事に対して向き合っていること。なかなか大きな声で、あいさつができない人もいるけれど、ニコニコ笑顔で、接客している姿が一番輝いているということ。

 大きな声が出ないことについての、クレームをいただいたことは一度もない。逆に常連のお客様から、「慣れたね」とか、「声、大きくなってきたね」とお声をかけていただけることがとてもありがたい。

 メンバー、職員に限らず、どんなに仕事ができても、表情が沈んでいたり、暗かったりすれば、お客様に良い印象を与えることはできない。不機嫌な顔をしていれば、お店のイメージも壊しかねない。お客様の立場になると容易に理解できる。

 お客様のニーズやご要望を誠実に受けとめる姿勢が一番大切。それがあって初めてお店は続いていくと思う。

 お店や販売先で新しいお客様と出会って、生まれるつながりを大切にしていくことで、つながりの輪はどんどん広がっていくのだと思う。

 …

 いつも、飛びっきりの笑顔で、お客様に応対しているスワンの副店長をはじめ、ゼルビアの販売に携わっているメンバーや職員たちを、法人の代表者として誇りに思います。

 スワン、とうふ菜園ともに、J2に昇格する来季も、ゼルビア屋台村の一員として、そして、FC町田ゼルビアといっしょに、新しい舞台でがんばっていきたいと思います。

 今季ご来店いただいた皆様に心より感謝申し上げますとともに、引き続き、ご愛顧いただけますようお願い申し上げます。

(天野)

 

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来季にむけての戦いはすでに始まっている

 12月11日。歴代のゼルビア戦士の名前が書かれたダン幕が、ピッチを見守るように張り巡らされたホーム野津田で迎えた今季JFL最終戦。

 「最後に笑うのはオレたちだ!」の言葉を有言実行するために、懸命に走りこんだ酒井選手からあがったクロスをディミッチ選手と、星選手が決めてあげた2得点で讃岐を破ったゼルビアが、リーグ戦3位を自力で勝ち取ると同時に念願のJ2昇格を決めた。

 閉幕のセレモニーで、下川社長、守屋代表、津田キャプテンが語った言葉は、今、スタジアムにいる選手やサポーター、関係者だけでなく、苦しい時代を共に過ごし、夢半ばにしてゼルビアを去った仲間を思いやる気持ち、感謝の気持ちにあふれていて、感動的だった。

 残念ながら、今季でゼルビアを去ることになってしまったポポヴィッチ監督のウィットに富んだ挨拶も良かった。なかなか結果が出せずに苦しんだ時期も、めざすべき方向性やスタイルを失わない強気なコメントは、選手だけでなく、サポーターも勇気づけてくれた。いつもサポーターやスポンサーを大切にするプロ意識の高さを素晴らしいと思う。

 ヴィクトリーラン(ウォーク)で場内を一周する選手たちの顔は、皆、大仕事を成し遂げた充実感と達成感にあふれ輝いていた。ゴール裏での万歳三唱と記念撮影の後、ポポヴィッチ監督がスタンドに引き上げられ、サポーターから胴上げの祝福を受ける。こんな手荒い、しかし愛情にあふれた祝福を受けるのは、ポポさんの長いサッカー人生の中でもきっと初めてのことではないだろうか?

 屋台村の片付けで一足早くゴール裏を後にする。星選手から現役引退の挨拶がサポーターにあったことを後で知った。最後の試合で最高のゴールを決めた星選手をもみくちゃにした選手たちは、きっとそのゴールの重さを知っていたんだろう。

 12日、「町田ゼルビアJ2昇格」の号外を手にした時、携帯が鳴った。フロントのO氏から「昇格なりました。ありがとうございました」の報告。ささやかなスポンサーにも、一報を届けてくれたO氏の心遣いに感謝する。

 13日、そして14日、公式ホームページに退団と契約満了の報せ。この時期、最初から分かっていることとはいえ、チームを去る選手がでることが本当に辛く、悲しい。それが思い入れのある選手であれば尚更だ。

 今日までゼルビアの歴史を共に築いてくれた功績に感謝するとともに、新天地(あるいは新しい人生)での活躍と成功を心から祈りたい。

 しかし、もう振り返ってはいられない。J2に昇格したとは言え、スタジアムの改修や経営基盤の確立にまだまだ多くの課題を抱えているのがゼルビアの現状だ。ひとつひとつ目の前の問題を片づけながら、さらなる高みをめざしていかなければならない。

 ゼルビアのホームページは、まだ昇格のお祭りムードにあふれている。

 一方で、来年から同じカテゴリーで戦うことになるJ2の先輩クラブのホームページでは、早くも2012年度の年間チケットや会員の募集をはじめているところがたくさんある。

 町田と松本山雅の昇格で、22チームに達したJ2では、来季から入替戦も実施される見込みだ。来季の戦いは、もうすでに始まっている。

 クリスマスプレゼントやお年玉代わりに、年間チケットをプレゼントできるよう、フロントには、がんばってもらいたい。

 おらが町に生まれたJリーグのチーム。これって本当にすごいことだと思う。いつまでも応援し続けていきたい。

(天野)

 

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「陸前高田市から『ノーマライゼーション』という言葉をなくしたい」という戸羽市長の復興への熱い思いに大感動

 岩手県 陸前高田市を訪問させていただきました。

 今回の訪問の目的は、来年1月に創刊予定の雑誌『コトノネ』の取材で、戸羽市長にインタビューをさせていただくことでした。

 

 戸羽市長の著書『被災地の本当の話をしよう』(ワニブックスPLUS新書)には、大津波に襲われたあの日の様子が克明に綴られています。

 市長ら127名の方がが、なんとか津波から逃げるようにして、屋上まで駆け上がった陸前高田の市庁舎は、今も生々しい傷跡を残したままです。祭壇が設けられた玄関の奥には、玄関を突き破って、押し流されてきた自動車が2階への階段をふさいでいます。

Takata05

 祭壇横にポツンと取り残された車いすの上には、水に浸かり、ボロボロになったアルバムが1冊。車いすの周りには、赤いランドセルが3つ置かれていました。きっと、この場所を訪れる人が多く、もしかすると、それらの品に縁のある人が現れるかもしれない、そういう方の手に届けたいという悲壮な願いがこめられているのだと思います。

Takata04

 市役所の前には、原形をとどめないほどぐちゃぐちゃになった自動車の残骸が何台も積まれています。8月に訪れた頃に比べれば、少なくなったとはいえ、まだまだ大きな「ガレキ」の山がいくつも見られます。「ガレキ」という言葉を話したり、書いたりするたびに、いつも心がざらざらします。

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 「これまで、どんな大きな津波が来ても、絶対に線路を超えることはなかった」と言われていたJR大船渡線の線路も引きはがされ、開業以来80年近くあった趣のある陸前高田の木造駅舎も跡形なく消滅してしまいました。

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 駅舎の傍らにあった大木も無残にも二つにへし折られてしまいました。向うに見える県立高田病院も、あの日は、津波に襲われ、屋上では孤立した100名以上の方が、雪の降る中、凍える一夜を明かされたということです。

 プレハブの仮設市庁舎でお会いした戸羽市長は、想像していた何十倍、何百倍も素晴らしいリーダーでした。公務の大変お忙しい中、1時間30分もの時間を割いて、インタビューに応じてくださったのも、震災から9カ月近く経ち、徐々に被災地の実情を伝える報道や記事も少なくなってきている中、「まだまだ被災地の復興は緒についたばかり」「真の復興まで被災地のことを忘れないでいてほしい」「継続的な支援をお願いしたい」というお気持ちがあってのことだと思います。

 市長自身もご家族を失くされたという辛い状況の中、「自分よりももっと辛い思いをしている職員や市民の方がいらっしゃる」と、常に周囲を気遣い、思いやりながら、復興のトップに立ち、獅子奮迅のご活躍をされていることに、尊敬の念を禁じ得ません。インタビューにお応えいただいた言葉のはしばしに強い使命感と人間としての温かさ、大きさを感じました。

 詳細は、『コトノネ』創刊号の第1特集「(仮題)再生から、共生へ。 岩手県・陸前高田 戸羽太市長インタビュー」の紙面を楽しみにお待ちいただければと思いますが、私が一番感動したことをこのブログで紹介させていただきます。

 これから8年間で陸前高田の復興を成し遂げるという計画の中で、陸前高田で暮らす障害のある人たちにとっても、暮らしやすい町づくりを考えていきたいというお話をいただきました。それは、「私(戸羽市長)は、陸前高田から『ノーマライゼーション』という言葉をなくしたい」という言葉で語られました。

 私自身、これまで行政のトップの方から、これだけ熱く真摯な福祉への思いを聞いた経験はなく、本当に涙がこぼれそうになりました。

 それだけでも素晴らしいことなのに、今朝、戸羽市長ご自身がフェイスブックで、次のような思いを発信されたということを知り、本当に驚きました。

「おはようございます! 先程、庁内に設置されている震災復興本部会議を開催し、復興計画案を話し合いました。これまで市民の代表者や学識経験者など50名による検討委員会の承認を頂くなど手続きを経てきた計画案でありますが、私から1点だけ指摘、追加をさせていただく提案をいたしました。

 それは障がい者の皆さんに配慮したまちづくりについてです。私の選挙公約でもあったのですが、私には陸前高田市から『ノーマライゼーション』という言葉をなくしたいという思いがあります。若い時のアメリカ生活の中で、『アメリカってすげぇな!」と思ったのは、ディスコ(今どきはクラブ?でしょうか)やバーのようなところへ行くと、車いすの方などがあたりまえに踊ったり、お酒を飲んだりしていたことです。これは、お店の造りが車いすの方々が利用しやすいように造られていることもそうですが、障がいをお持ちの方々の意識の問題もあると思います。

 この度の被災により陸前高田市は壊滅的な被害を受けてしまい、すべてのお店や施設はなくなってしまいました。この機会だからこそ、お店を造られる方や商店街の方々に理解を頂き、バリアフリーのお店にしてもらい、障がいをお持ちな方々にも積極的に町に出てもらうようにする。そのことで、陸前高田市からノーマライゼーションという言葉をなくしていく! 素晴らしいことだと思いませんか?

 陸前高田市の復興計画の中で『世界に誇れる美しいまちをつくります』という目標があります。景観の美しさもとても大事ですが、市民の心の美しさもとても大事だと思っています。

 今日は来客や会議の合間に長々と書きましたので、文章がかなり拙いものになってしまいましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございます!」

 

 市長自身が発信されたこの言葉は、陸前高田で暮らす障害のある人たちや家族の方がにとっては、何よりも心強いエールであると思います。

 戸羽市長が、市長になられたのは、あの震災が起こるわずか1か月前。「この人がトップであれば、どんな困難も乗り越えられる」という、何か運命的なものを感じます。

 陸前高田が1日も早く復興を成し遂げ、景観も、そこで暮らす人々の心も、世界に誇れる美しいまちになることを心から願いつつ、私たちもできる限りの応援をし続けていく気持ちを一層強くした今回の訪問でした。

 戸羽市長をはじめ、大変丁寧なご対応をいただいた陸前高田市役所の皆様、市長とのアポイントメントでお骨折りをいただきました陸前高田市の障害者施設「あすなろホーム」の皆様、町田市の「鶴の羽の会」の皆様に心よりお礼申し上げます。

 今日もブログを最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(天野)

 

 

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