南相馬市内の障害者施設がスクラムを組んで動き始めた復興に向けての新たなとりくみ
南相馬の2日目は、朝、もう一度、沿岸部の被災地をまわりました。
津波の被害にあった住宅がぽつんと取り残されています。現在は、雑草が生い茂っている部分も、もともとは住宅が立ち並んでいました。建物を根こそぎなぎ倒された基礎部分が草むらの中に隠れています。
振り返ると、2キロ先くらいに見える海まで、ずっと同じような光景が続いていました。写真にはとても収まりきらない広大な地域が、津波に襲われ、ここで暮らしていた人たちの普通の生活が一瞬にして消え去りました。
消防団の消防車が、くの字に折れ曲がった形で、道路わきに置き去りにされたままになっています。車内には消防服やヘルメットなどが散乱していました。写真のネガフィルムの束がありましたが、水に浸かって、画像は判別できません。
何トンもありそうな石碑が土台ごと、津波で押し流され、引き波で大木にひっかかって止ったようです。こんな重いものまで、押し流し、破壊してしまう津波の威力には、人間の力など、到底及ぶものではありません。
海まで1.5キロくらいのところにある、この老健施設(高齢者施設)では、38名もの方が亡くなられたということです。がらんどうになった建物の中に、祭壇が奉られていました。手をあわせ、ご冥福をお祈りしました。
震災から半年以上過ぎた現在、草の海に覆われた広野は、一見、美しくも見えますが、その下には、津波に襲われた傷跡や、人々の生活の痕跡が、3月11日で時間がとまった状態でそのまま隠れています。
「どこからどう手をつけたらいいかわからない」
復旧や復興までには、まだまだ長い道のりです。
被災地以外で暮らす私たちが、しなければならないことは、まずは、絶対に被災地のことを忘れ去らないこと。そして、おこがましい言い方ですが、どんなに小さなことでも構わないから、自分ができる支援をずっと続けていくことだと思います。
そんな南相馬の障害者施設で、復興に向けてのたくましいとりくみがスタートしています。
震災後、南相馬市内の8か所の障害者施設も大きな被害を受けました。建物こそ、あまり大きな被害は出なかったものの、震災後に発生した原発事故の影響で、立ち入り禁止の地域指定や、市外に避難する人々が続出し、作業所を一時閉鎖しなければならない事態に陥りました。
数か月経って、作業所が徐々に再開されたものの、街の人口も半分に減ってしまい、震災前にとりくんでいた仕事も激減してしまいました。レストランの経営やメール便の配達にとりくんでいたある作業所では、震災前に平均35000円支給していた利用者の方への給料が、3000円にまで減ってしまいました。
そんな状況を打破するために、それまでは独自の仕事をおこなっていた市内の作業所が、ひとつにスクラムを組んで、新たな仕事おこしとしてとりくみはじめたのが、「南相馬ファクトリー つながりーふくしま」による缶バッジ製作のプロジェクトです。
訪問させていただいた作業所では、どこでも、障害のある人たちが、生き生きとした表情で、缶バッジづくりにとりくんでいました。
障害のある人にたちにとって、否、障害のある人もない人も、「仲間がいて、仕事があること」が何物にも代えがたい大切な営みであることを実感できました。
もっと詳しく、紹介をしたいところですが、これから、北海道で開催されるヤマト福祉財団の「パワーアップフォーラム」に参加するため、出張にでかけます。
続きは、また次回のブログで。
最後まで、お読みくださり、ありがとうございます。
(天野)
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