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2011年10月

ゼルビアの選手たち、南相馬市大甕SSS(サッカースポーツ少年団)の子供たちに負けるな!

 酒井選手のブログで報告されている通り、

http://ryosakai.blog54.fc2.com/blog-entry-1049.html

 福島県南相馬市原町区の大甕(おおみか)サッカースポーツ少年団から、酒井プロジェクトPART3でお贈りしたゴールネットに対するお礼のご連絡をいただきました。

 9月30日に、「緊急時避難準備区域」の指定が解除され、10月17日から学校が再開となりました。

 私たちが訪問させていただいた10月19日は、ネット到着の1日前ということで、まだゴールには、ネットは張られていませんでした。しかし、ネットの到着を心待ちにするように、真っ白に塗りなおされたゴールが、ひまわりの花の向う側に輝いている光景は、それは美しいものでした。

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ひまわりの向うに見える真っ白なサッカーゴール

 校庭には、どなたが書いたのでしょうか? 2日前にの学校の再開に合わせて書かれた、「おかえり」の4文字が、くっきりと残っていました。

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 学校の再開に向けて、グランドや校舎の外壁の除染作業は、行政がやってくれましたが、教室や廊下、そして、校庭の遊具などには、とても手の回らない状況でした。

 そうした状況を見かねて、保護者や先生、地域の方が子供たちの安全や安心を願い、手弁当で、雑巾やバケツを持ちより、教室や廊下の拭き掃除をされました。同じように、校庭の遊具も、錆を落とし、きれいにペンキを塗り替えて、学校の再開に備えられました。

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ブランコもジャングルジムもきれいにお色直しを終えました

 17日の学校再開の式は、「復活式」と命名されました。久しぶりに顔を合わせた子供たちの数は75名。在校生204名のおよそ3分の1の数です。全員が安心して、学校に戻ってこらえる日がくるまでには、まだまだ時間がかかります。

 津波で家を失くし、仮設住宅で暮らしている子供たちもたくさんいます。南相馬市鹿島区や相馬市の仮設住宅で暮らしている子供たちは、送迎バスに乗って、帰っていきます。震災前のように、放課後、近所の友だちと集まって、日が暮れるまで、外で思いっきり遊べる環境はまだ戻っていません。

 被災地の復興で、何より大切なことは、子供にとっても、大人にとっても、コニュニティの復興そのものであるにちがいありません。

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ひまわりに見送られて下校する子供たち

 震災後、活動を中止していた大甕SSSの子供たちも、11月からは、正式に活動が再開できることになりました。

 まだ、長時間、屋外で活動することは難しいかもしれませんが、11月中旬に宮城県大河原町で開催される大会に出場することも決まっています。

 

 酒井選手やゼルビアサポーターの皆さんの温かい気持ちは、ちゃんと大甕SSSの子供たちに届いています。ゴールの前のちょっとはにかんだ可愛い笑顔をご覧になってください。

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 感動の勝利をおさめたSAGAWA戦のあと、昨日の長野戦での痛い敗戦。

 でも、下を向いている暇はありません。そんなことをしていたら、南相馬の子供たちに笑われてしまう。

 どんなに厳しい状況にあっても、前を向いて、走り続けること。小さな子供たちが、身をもって示してくれている姿勢に学び、応えるゼルビアの選手たちの奮起を期待しています。

(天野)

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「原発にまげでらんねぇ!」と、復活したチキンウィンナー・フランクフルト・地鶏つくねを是非、ご賞味ください!

 先日(10月18日)、福島県郡山市にある「社会福祉法人にんじん舎」さんを初めて訪問させていただきました。

 同法人が運営する就労継続支援B型事業所の「共働作業所にんじん舎」では、第1次産業を中心とする地域や自然との共生を目的に、養鶏場や農場の運営の他、BDF(バイオディーゼル燃料)の製造作業にとりくまれています。

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(「平飼い」で飼育されている「にんじん舎」の養鶏場)

 にんじん舎さんの事業の特徴は、「もったいないSプロジェクト」と銘打ち、食品残渣(学校や高齢者施設、飲食店などからだされる食べ残しの生ごみ)や食廃油(使い終わった天ぷら油)などを利用した「リサイクル循環型システム」を構築し、無駄をなくすと共に、これまで無駄と思われていたものから新たな価値をつくりだすことに、継続的にとりくまれてきたことです。

 東日本大震災の発生直後、この「循環型システム」は、大きな力を発揮しました。ライフラインや物流がストップし、深刻な食料や燃料不足の状況に陥った中、にんじん舎さんは、養鶏場や農場で生産した食料や、BDF工場で製造した燃料を避難所などに提供し、地域貢献の役割を果たしました。

 電気が止まり、人工呼吸器などの医療機器を使っている方が生命の危機に直面する中、にんじん舎で製造したBDF燃料を発電機に使用することで、危機を免れることができたというお話を伺いました。私自身も、3月末のガソリン不足の中で、東北の被災地を訪問した帰りに、東北道のPAで、にんじん舎さんのBDF燃料車に出会い、「燃料不足を気にせず、自前で調達し、走り回っていること」に感銘を受けた経験があります。

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(「にんじん舎」のBDF燃料車両、背景は製造工場)

 地震や津波といった自然災害に対しては圧倒的ともいえる「サバイバル能力」を発揮した自然や地域と共生した「循環型システム」ですが、その強みを一瞬にして消し去ってしまったのが、福島第1原子力発電所の事故による放射能汚染という人的災害です。

 野菜を食べる人や農場で働く障害のある人たちの「安全・安心」を心がけてとりくんできた農薬を使わない野菜づくりや、鶏の成長を促し、おいしい鶏卵をつくるために、とりくんできた屋外の運動場で鶏を自由に動き回らせる平飼いといったとりくみが、原発事故によって、存続の危機に晒されることになってしまいました。

 理想を追求し、完璧に築き上げてきたはずの「システム」が、いとも簡単に崩壊してしまうことの恐ろしさが言葉にならないほどのショックです。

 現在、にんじん舎さんでは、様々な対策を講じながら、この人災による危機と戦っています。農場や養鶏場で生産した野菜や鶏卵、鶏肉などは、すべて放射線量を測定するとともに、国の定める食品安全基準の暫定基準値の10分の1を独自の基準値として定め、これを下回るもののみを販売しています。

 たとえ障害者施設と言えども、商品を買ってくださる消費者の方の安全と安心を第1に考えて、商品を製造・販売することは当然の義務です。しかし、毎日、農場や養鶏場で、放射線量を計測したり、作業所の中に放射能測定機器が常備されている光景を突きつけられると、あまりに重い責任が、一福祉施設に押し付けられていることに憤りを覚えます。

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(作業所内に設置された食品放射能測定器)

 同時に、大変、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。それは何かと言うと…、福島第1原子力発電所は、東京電力の発電所です。すなわち、ここから供給される電力は、福島で暮らす人たちにとっては、まったく無縁のものです。自分たちにとっては何のメリットもない原発で起きた事故のデメリットの部分を全部、背負わせてしまっていることに対する申し訳のなさです。

 

 「にんじん舎」さんでは、廃鶏(卵を生まなくなった鶏)を利用して、ウィンナーやフランクフルトなどの製品も市場に送りだしていました。OEMの手法で、福島県南相馬市小高区にある食肉加工業者さんに製造を委託していました。原発事故の影響で、工場があった小高区は、「警戒区域」に指定され、立入禁止となり、製造も一時ストップしてしまいました。

 この業者さんが、「原発にまげでらんねぇ!」と、「警戒区域」外の仮設工場で、製造を再開され、ソーセージづくりが「復活」しました。

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(仮設工場で製造を再開したハム・ソーセージ工場/南相馬市原町区)

 「にんじん舎」の養鶏場で飼育されている鶏は、福島県のブランド鶏の「会津地鶏・福島クロス」という品種です。会津地鶏は、会津地方で古くから飼育されていた絶滅寸前の地鶏をもとに改良された品種で、肉には歯ごたえがあり、脂がのっているため、こくやうまみに大変優れています。

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(会津地鶏は福島県のブランド鶏)

 「にんじん舎」の事業所を見学した後、ウィンナーやフランクと、地鶏つくねのスープを御馳走になりましたが、それはもう、ほっぺたが落ちるくらいの美味しさでした。

 今回、無理にお願いして、「にんじん舎」さんから、ウィンナー、フランクフルト、地鶏つくねを各50パック分けていただきました。できれば、今後も継続して、販売にとりくむことで、「にんじん舎」さんを、そして、福島を応援していきたいと考えています。

 冷凍商品のため、通信販売では、送料が高くついてしまうため、今回は、ウィズ町田の店舗型事業所の「スワンカフェ&ベーカリー町田店」と「とうふ菜園玉川学園前店」で、店頭販売のみで、販売させていただきます。是非、「復活」のウィンナー、フランクフルト、地鶏つくねをご賞味ください。(詳しくは、下のチラシをご覧になってください)

「hukkatu_soseiji.doc」をダウンロード

 3月11日以降、私にとっては、今回が4度目の被災地への訪問になりました。おそらく、あの震災がなければ、1年の内に、これだけ東北に足を運ぶこともなかったであろうし、東北の障害者施設の方やその他、多くの方とお会いしたり、お話させていただくこともなかったと思います。大震災は多くのものを奪い去ってしまった一方で、また新たな価値観やつながりも生みだしました。生き残った人々、そして、被災していない私たちがやるべきことは、そうした価値観やつながりをより大きなもの、密なものにしていくことではないかと思います。

 被災地では、これから短い秋を終えて、寒さ厳しい冬へと向かいます。「旧」に戻す復旧までにも、更に、ゼロから新たな枠組みをつくりだす復興までには、まだまだ相当な時間がかかります。被災地以外で暮らす人たちにとっては、あの震災が遠い記憶になり、消え去ろうとしてはいませんか? 「忘れ去ること」も、人間が生きていくためには、必要な本能的な力かも知れません。しかし、意志的な力で「忘れ去らない」努力をすることが、今はまだ必要なのだと思います。

 訪問中にひいてしまった風邪が抜けきらないまま、ボーっとした頭で、何だかよくわからない文章を書いてしまいました。ごめんなさい。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

(天野)

 

 

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障害のある人たちが主人公の楽しいお祭りで、東北地方大物産展を開催していただきました

 国分寺市障害者センターで開催された「はばたけ!サンサン ゆめ祭り2011」に行ってきました。

 同センターさんには、今回のイベントの特設コーナーとして、「東北地方大物産展」を企画していただき、ウィズ町田を通して、東北地方の障害者施設で製造・販売している商品を大量にご注文していただきました。

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 特設コーナーの会場は、威勢の良い呼び込みの声と、たくさんのお客様で賑わっていました。

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 物産の販売と併せて、震災による障害者施設の被災状況を知らせるパネルコーナーが設けられていました。国分寺市障害者センターさんも震災直後から、同市社会福祉協議会さんと合同チームを結成して、何度も被災地にボランティアの支援に入っていらっしゃいます。

 被災地の現状を見て、「ひとりひとりが自分のできる支援をしっかりやっていこう!」という思いが、今回のイベント全体の大きなねらいとなっています。

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 短冊形の商品札や、「買って応援! 食べて応援!、今、ここでできる東北支援」の横断幕など、お客様目線を考えたアピールの方法など、とても勉強になりました。

 冷蔵・冷凍商品のご注文をいただくことがまだまだ多くないのですが、国分寺市障害者センターさんでは、写真右に映っている冷蔵商ケースをご用意いただき、豆腐や笹かまぼこなどの商品も取り扱ってくださいました。

 笹かまぼこは、やはり大人気だった様子で、お昼頃、私が購入しようとしたときには、すでに「完売!」となっていました。

 「ゆめ祭り」のイベントには、東北地方物産展の他にも、国分寺市内の障害者施設や団体さんの自主製品の販売や食べ物の模擬店など、たくさんのテントが立ち並び、屋外のステージや、センターの建物内では、たくさんのイベントコーナーが設けられ、どこもたくさんの人で賑わっていました。

 普段は、センター内の障害者施設を利用する人たちが、使っていらっしゃる「スヌーズレンルーム」が、体験コーナーとして開放されていたので、体験してきました。光や音、振動や触覚などいろいろな素材を組み合わせて、リラックスできる時間を体験する空間になっており、ウォーターベッドに寝転がっている時間は、まさに至福の時でした。

 センターを利用されている障害のある人たちが、お祭りの主人公になる工夫も随所に見られました。仮装した人を探すゲームが企画されており、会場内のあちらこちらに仮装した利用者の人たちが歩き回っているのを見るだけで、楽しくなります。

 ある利用者の方が、自作の紙芝居を上演される企画に参加させていただきましたが、ストーリーの優しさとともに、温かく深みのある声で、歌われた子守唄を、聞いていると、知らず知らず涙が湧いてきました。たくさんのレパートリーをお持ちというので、ぜひ、町田にもお招きして、上演をお願いしたいと思います。

 「たとえ、被災地に行くことができなくても、自分のマチに居ながらにしてできる被災地復興支援の方法はいくつもある」 その一つとして、「被災地の商品を買って、おいしい応援をしよう!」という私たちの呼びかけに応えていただき、「東北地方大物産展」を企画・開催していただきました国分寺市障害者センターの皆様、また、ご来場を賜りました皆様に心よりお礼申し上げます。

 また今回、商品発送において不手際を発生させてしまいましたが、柔軟にご対応いただきましたことにお詫びと感謝を申し上げます。

 次の日曜日(23日)、兵庫県神戸市の鷹取駅前商店会さん主催のイベントでも、「東北地方大物産展」を開催していただけることになりました。もし、神戸周辺で、本ブログをご覧になっていらっしゃる方がいらっしゃいましたら、どうぞ、足をお運びください。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(天野)

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酒井選手の3つめとなる見事なゴールが決まった! 「酒井プロジェクトPART3」のご報告

 福島県南相馬市の大甕(おおみか)サッカースポーツ少年団からの気持ちのこもったパスを受けたFC町田ゼルビアの酒井選手。そのままスピーディーなドリブルでゴール前に持ち込んで、見事、3つめのゴールを決めた!

 酒井選手、里見さん(NPO読み聞かせ文庫代表)のブログで、すでに報告されているとおり、急きょ「酒井プロジェクトPART3」として、大甕SSSにゴールネットをお贈りすることが決まりました。

 大甕SSSの監督さんから、御礼のメールが届きました。

 ゴールネットは、すでに地元の業者さんへの発注を終え、10月20日に納品されるとのことです。(残念ながら、17日放送のNHK「おはよう日本」には、間に合いませんでしたが、南相馬の現状を知っていただくためにも、ぜひ、ご覧になってください)

 学校が再開されたとは言え、屋外での活動時間の制限や、除染作業で掘り返されたグランドの土がまだ安定しないこともあって、当分の間は、体育館を使った屋内でのフットサルを活動の中心にせざるを得ない状況が続きます。

 シュート練習で、ひとつもはずさずに、新しいゴールネットを揺らせるようになるために、屋内練習でも気を抜かずに、しっかりテクニックを磨いてほしいと思います。

 少年サッカーの指導者のお仕事(と言っても、報酬があるわけでもなく、まったくのボランティアですが)は、平時であっても、苦労ばかりの、とても大変なお仕事だと思います。震災に加えて、原発事故という未曾有の事態に直面する中で、ご自身の生活や将来の見通しも不安な中で、子供たちの指導を続けていらっしゃることに、尊敬の念を覚えます。

 いただいたメールの中に、次のような言葉がありました。

 「この様な見ず知らずの弱小チームに、温かいご支援をありがとうございました。このご恩を前向きに考え、子供たちにもこの善意を教え、人の温かさや絆を感じ取ってもらえるように、指導者として成長の手助けをしていきたいと考えます」

 「ご恩」など、とんでもなく、このような方と出会えたことが、私たちにとっては、何よりも嬉しく、また、大変ありがたいことです。

 来月には、宮城県大河原町の協会さんから招待を受けて、久しぶりの実戦(大会)の舞台に臨まれるということです。屋外で思いっきり、ボールを追いかけることができる喜びに浸りながら、遠慮なくゴールを量産(良さん)してきてください!

 大甕SSSのみんな、ガンバレ!

 

 来週18日から、里見さんとご一緒して、再度、東北の被災地を訪れます。南相馬市にも19日に訪問する予定になっていますが、20日のネット納品日の前日ということで、ちょっと残念です。時間があれば、大甕小学校の様子も見て来たいと思います。

 最後になりましたが、「酒井プロジェクト」にご協力を賜りました皆様に心よりお礼申し上げます。

(天野)

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復興にむけて石巻市でがんばるみなさんに勇気をいただいた。10月16日(日)、東京国分寺市で東北支援のための物産展が開催されます

 10月1日は、宮城県 石巻市を訪ねました。

 石巻市は、仙台市に次ぐ、県内第2の人口を擁する海辺の市です。金華山沖(三陸沖)は、黒潮(暖流)と親潮(寒流)がぶつかる世界三大漁場として知られ、全国でも有数の水産(加工)都市として知られています。

 仙台からは、三陸自動車道で約1時間の距離です。仙台と石巻を結ぶJR仙石(せんせき)線は、東日本大震災発生後は全線が不通になりました。現在は一部区間で運行を再開していますが、津波により線路や駅舎が消失した高城町(たかぎまち)~矢本(やもと)間は、不通が続いており、復旧にたっては、線路を内陸部に移設するなどの検討・計画が必要なことから全線再開の目途が立たない状況になっています。

 東日本大震災の被災地の自治体でもっとも甚大な被害を受けたのも、この石巻市です。これまでに3300名もの方が亡くなり、今もなお700名を超える方が行方不明になっています。

 最初に訪問させていただいた石巻市で10数か所の事業所を経営されている社会福祉法人さんでは、地震や津波によって法人内の事業所自体が全壊等の被害に見舞われたにもかかわらず、利用者の安全を確保した後、震災直後から、地域の避難所として、事業所を開放し、給食用の食材等を使い、食事提供などもおこなったというお話でした。

 また、震災で生活の場を失った障害のある人や家族が安心して暮らせるようにするため、日本財団の助成を得て、世帯向けのケア付仮設住宅40戸と単身の障害者向けグループホーム2棟を整備するなど、地域と一体となってまちの復興をめざす献身的なとりくみを続けていらっしゃいます。大変な状況、そして事業をもの静かにお話される理事長さんの器の大きさを感じました。

 詳しくは、下記のサイトをご覧になってください。

http://www.i-shoshin.or.jp/news.html

 http://www.fukkoushien-nuae.org/2011/05/28/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E5%B8%82-%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E5%90%91%E3%81%91%E4%BB%AE%E8%A8%AD%E4%BD%8F%E5%AE%85-%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E7%A5%A5%E5%BF%83%E4%BC%9A%E3%81%8C%E7%9D%80%E5%B7%A5-%E5%8D%98%E8%BA%AB-%E4%B8%96%E5%B8%AF%E7%94%A8%E8%A8%88-%E5%AE%A4/#permalink

 

 次に訪ねたのは、東北復興支援物産展で販売させていただいている「希望の缶詰」を製造していた「木の屋石巻水産」さんです。

 ブログですでにお伝えしています通り、缶詰の「発掘作業」はすでに終了しています。前日に訪ねた七ヶ浜町の障害者施設では、ちょうど最後の洗浄作業をおこなっているところでした。

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 缶詰の「発掘作業」の現場となった倉庫では、仕分けられ、廃棄処分となった缶詰が山積みになっていました。その数はおそらく何万個~数十万個といった単位です。

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 道路をはさんで倉庫の向かい側に、缶詰を製造していた水産加工場があったということですが、今は何も残っていません。この一帯は大小の水産加工場が立ち並んでいたということです。そのためか、辺りは水産品の腐敗臭が立ち込めています。地元の人のお話では、以前に比べると、格段に臭いが弱くなったということです。

 最後に、缶詰とセットで販売している「長寿味噌」を製造している「高砂長寿味噌」さんを訪ね、社長ご夫妻からお話をうかがいました。

 社長さんは、地震の後、従業員を高台に避難させた後、息子さんと一緒に、店の様子を見に戻ったところで、津波に見舞われました。背後に迫りくる津波から走って逃げ、辛うじて、高さ2メートルほどのブロック塀によじのぼり、足もとまで水につかりながらも難を逃れたということでした。

 目の前を老夫婦が乗った自動車が押し流されていく。中の人と目があったが、助けに行きたくても、流れが速すぎて、何もできなかったと無念そうにお話されていました。3月11日の石巻市は、冷たい雪が舞う厳しい天候でした。寒さに震えながら、何時間もブロック塀の上で、水が退くのを待って、奥さんたちが待つ避難所へ向かったということです。

 避難所では、水が退いた後に、お店から運び出した商品を、食料として地域の方に提供したということです。取引先の多くが、水産加工業者であった(希望の缶詰のサバの味噌煮などに使われている味噌も長寿味噌)ため、震災後の売上は激減しました。沿岸部にあったため、「高砂長寿味噌」は全滅したという憶測による情報も流れ、途方に暮れることもあったが、そんな中、遠方の取引先の方が、救援物資を持って、訪ねてきてくれたことが何より嬉しかったとお話されていました。

 地域の一日も早い復興のためには、「行政に頼ってばかりいても、何も進まない」「自分たちにできることを少しずつでも進めていかなければならない」と、専務を務める奥様と知恵を出し合い、新たな事業興しに積極的にとりくまれています。

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 障害者福祉施設とのコラボレーションによる商品開発にも積極的に力を貸してくださっており、大変、有難く思いました。

 震災から半年以上経った今も、石巻市では、海岸沿いには、「ガレキ」が山積みされています。1メートルを超える地盤沈下がおこった地域もあり、大潮や高潮のときには、マンホールから海水があふれ出し、市街地を水没させてしまう事態も続いています。

 そんな状況の中でも、弱音を吐かず、あきらめず、がんばっていらっしゃる方々とお会いすると、励ますどころか、逆にこちらが勇気を分けていただいているような気持ちになります。

 復興までには、まだまだ長い歳月がかかります。震災や被災地のことが忘れされれるようなことがあってはなりません。たとえ、被災地に支援に行くことが難しくても、被災地の商品を買い求めるなど、消費活動を通じて、居ながらにしてできる支援の方法はたくさんあります。

 そんな「らいむのブログ」からの発信に賛同していただき、各地で東北復興支援の物産展が開催されます。

 10月16日(日)には、国分寺市障害者センターさん主催の東北地方物産展が、東京都国分寺市で開催されます。お近くの方は、ぜひおでかけください。

「kokubunji_event.doc」をダウンロード (案内チラシ)

 

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 「希望の缶詰&長寿味噌」のセットも販売されます。

 「おいしい応援」をよろしくお願いします。

 今日も 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

(天野)

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南相馬市内の障害者施設がスクラムを組んで動き始めた復興に向けての新たなとりくみ

 南相馬の2日目は、朝、もう一度、沿岸部の被災地をまわりました。

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 津波の被害にあった住宅がぽつんと取り残されています。現在は、雑草が生い茂っている部分も、もともとは住宅が立ち並んでいました。建物を根こそぎなぎ倒された基礎部分が草むらの中に隠れています。

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 振り返ると、2キロ先くらいに見える海まで、ずっと同じような光景が続いていました。写真にはとても収まりきらない広大な地域が、津波に襲われ、ここで暮らしていた人たちの普通の生活が一瞬にして消え去りました。

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 消防団の消防車が、くの字に折れ曲がった形で、道路わきに置き去りにされたままになっています。車内には消防服やヘルメットなどが散乱していました。写真のネガフィルムの束がありましたが、水に浸かって、画像は判別できません。

 何トンもありそうな石碑が土台ごと、津波で押し流され、引き波で大木にひっかかって止ったようです。こんな重いものまで、押し流し、破壊してしまう津波の威力には、人間の力など、到底及ぶものではありません。

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 海まで1.5キロくらいのところにある、この老健施設(高齢者施設)では、38名もの方が亡くなられたということです。がらんどうになった建物の中に、祭壇が奉られていました。手をあわせ、ご冥福をお祈りしました。

 震災から半年以上過ぎた現在、草の海に覆われた広野は、一見、美しくも見えますが、その下には、津波に襲われた傷跡や、人々の生活の痕跡が、3月11日で時間がとまった状態でそのまま隠れています。

 「どこからどう手をつけたらいいかわからない」

 復旧や復興までには、まだまだ長い道のりです。

 被災地以外で暮らす私たちが、しなければならないことは、まずは、絶対に被災地のことを忘れ去らないこと。そして、おこがましい言い方ですが、どんなに小さなことでも構わないから、自分ができる支援をずっと続けていくことだと思います。

 そんな南相馬の障害者施設で、復興に向けてのたくましいとりくみがスタートしています。

 震災後、南相馬市内の8か所の障害者施設も大きな被害を受けました。建物こそ、あまり大きな被害は出なかったものの、震災後に発生した原発事故の影響で、立ち入り禁止の地域指定や、市外に避難する人々が続出し、作業所を一時閉鎖しなければならない事態に陥りました。

 数か月経って、作業所が徐々に再開されたものの、街の人口も半分に減ってしまい、震災前にとりくんでいた仕事も激減してしまいました。レストランの経営やメール便の配達にとりくんでいたある作業所では、震災前に平均35000円支給していた利用者の方への給料が、3000円にまで減ってしまいました。

 そんな状況を打破するために、それまでは独自の仕事をおこなっていた市内の作業所が、ひとつにスクラムを組んで、新たな仕事おこしとしてとりくみはじめたのが、「南相馬ファクトリー つながりーふくしま」による缶バッジ製作のプロジェクトです。

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 訪問させていただいた作業所では、どこでも、障害のある人たちが、生き生きとした表情で、缶バッジづくりにとりくんでいました。

 障害のある人にたちにとって、否、障害のある人もない人も、「仲間がいて、仕事があること」が何物にも代えがたい大切な営みであることを実感できました。

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 もっと詳しく、紹介をしたいところですが、これから、北海道で開催されるヤマト福祉財団の「パワーアップフォーラム」に参加するため、出張にでかけます。

 続きは、また次回のブログで。

 最後まで、お読みくださり、ありがとうございます。

(天野)

 

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南相馬の子供たちとフットサルで対戦する機会をつくりたいな

 昨日のブログをご覧になった南相馬市の大甕サッカースポーツ少年団の監督から、メールをいただきました。

 正確には、10月17日から学校が再開。22日から学校の体育館を使用して、フットサル中心の活動を再開するとのことです。

 私たちと食事をしたときには、無邪気に笑ったり、はしゃいだりしていた子供たちですが、今も家が少しでも揺れると、テーブルの下に身を隠すなど、地震に対してとても敏感になり、全てのことに臆病になっている様子が見られるそうです。

 大人でさえ、押しつぶされてしまいそうな不安や恐怖に、健気に向き合い、じっと我慢している子供たち。せめて、フットサルやサッカーをやっているときは、嫌なことは全部忘れて、思いっきり、笑い転げてほしいと願っています。

 ウィズ町田の職員の中にもサッカーやフットサルが好きな人がたくさんいるので、被災地の様子をしっかり自分の目で見てもらうことも合わせて、子供たちとフットサルで対戦できるような機会をつくってみようと思います。大甕サッカースポーツ少年団のみんな、その時はどうぞお手柔らかに!

(天野)

 

 

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震災や原発事故は、ただそのマチに起きたのではなく、そのマチで暮らす人々の普通の生活の上に起きたのだということを忘れてはいけない

 先週9月28日~10月1日まで、東北の被災地を訪問してきました。

 28日、29日の2日間は、原発被災地の福島県南相馬市を訪ねました。

 南相馬市は、福島第1原発から半径20キロ以内の「警戒区域」と、半径20~30キロ圏内の「緊急時避難準備区域」と、20キロ以遠にありながら、気象条件や地理的条件により積算線量が高くなるおそれがある「計画的避難区域」と、それ以外の区域に市内が4分割されてしまっています。

 私たちが訪ねた南相馬市原町区(旧原町市)は区の大半が、「緊急時避難準備区域」に含まれます。「緊急時避難準備区域」においては、自主的避難が求められ、特に子供や妊婦、要介護者や入院患者の方などは原則的にこの区域に立ち入ることができず、保育園や学校などは休園・休校となっています。

 9月30日をもって、「緊急時避難準備区域」は原発事故問題に一定の収束が見られるとの判断で指定が「解除」されましたが、これから学校などの除染作業を本格的に進めていかねばならない状況で、「解除」=「元の生活が戻る」ということにはなりません。

 原町区へは、東北新幹線の福島駅から、車で約1時間30分の道のりです。途中、「計画的避難区域」に指定され、全村避難を強いられている「飯舘村」を通っていきます。

 福島市から東隣の川俣町までは、田んぼが収穫の時期を迎え、黄金色に実った稲穂が車窓に広がります。ところが、川俣町から飯舘村に入った途端に、田園風景は一変してしまいます。田畑には雑草が生い茂り、人の姿がまったく見られなくなってしまいます。

 なだらかに連なる低い山並みに囲まれ、美しい田園風景が広がる飯館村は平成の市町村大合併の動きに安易に流されることなく、、「までいライフ」をコンセプトに、ハードではなく、ソフト面を中心に独自の村づくり・地域興しをめざし、様々な特徴的なとりくみを続けてきた自治体です。(「までい」とは、「丁寧に」「大事に」「思いやりをもって」という意味で、昔から飯舘村で使われてきた方言です)

 原発事故がなければ、この飯舘村でも、稲穂が実り、収穫作業に精をだす人々の姿が普通に見られていたことを思うと、震災や原発被害は、○○町や○○村といった土地に起きたことではなく、それぞれのマチで暮らす普通の人々の生活の上に起きた大変なできごとであることに、一層、悲しみと怒りを覚えます。

 南相馬市では、1日目に少年サッカーチームの監督さんと小学3年生の娘さん、監督さんのご友人のご家族(ご夫妻と小学4年生の娘さん、小学3年生の息子さん)とお会いして、夕食を共にしながら、お話を伺いました。

 今回、南相馬市にご一緒したNPO法人読み聞かせ文庫の里見代表のブログに、監督さんたちから伺ったお話の記事があります。私の書く文章よりも、ずっとうまく、被災地で暮らす人々の様子が伝わると思いますので、ご覧になってください。

http://o-shobo.jp/blog/2011/10/post-445.html#more 

http://o-shobo.jp/blog/2011/09/post-443.html#more

 

 「震災や原発事故で、当たり前の暮らしを失くしてしまったけれど、震災をきっかけに、これまでまったく縁のなかった人たちとの新しい縁や絆が生まれたことが財産である」と、お話してくださった監督さんの言葉に、心を打たれました。

 この半年間、とても辛い経験を重ね、小さな胸を何度も痛めてきたであろう3人の子供さんたちが、東京からやってきた大阪弁を話す怪しげなおっちゃん二人を心から歓迎してくれて、折り紙をいくつも折ってくれたことが、とても嬉しくてたまらなかったです。

 子供たちにとって一番辛いことは、仲の良かった友だちと離れ離れになってしまうことだと思います。「緊急時避難準備区域」の指定が解除され、除染作業を終えて、学校が再開されても、それだけでは、市外や県外に避難した友だちが全員すぐに戻ってくることにはならないかもしれません。津波で命をなくしてしまった友だちもいます。

 子供たちが安心して暮らせる環境や、辛い悲しみを乗り越える力となる希望をどうすれば取り戻すことができるのか、そのことは被災地の大人だけではなく、被災地以外で暮らす私たちもいっしょになって真剣に考えていかねばならないことだと思います。

 南相馬市での2日目は、市内の障害者施設を6か所訪問させていただきました。

 その様子は、次のブログで。

 ブログをアップした後、ふと思い立って、南相馬市のサッカースポーツ少年団のホームページを覗いてみたら、

 なんと、活動再開! のお知らせが…。

 一歩前進! まだまだ小さな一歩かもしれませんが、本当に嬉しく思いました。

http://www.geocities.jp/fantastic_kids/

 福島県南相馬市原町区 大甕(おおみか)サッカースポーツ少年団のみんな、震災に負けるな! サッカー、楽しくがんばれ!

(天野)

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