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被災地の障害のある人たちの暮らしを伝える河北新報の記事 (カウントダウン情報16 あと4日)

 4月25日の河北新報に、被災地の障害のある人たちの今を伝える記事が掲載されました。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110425t13008.htm

 リンク切れに備えて、全文を転載しておきます。

障害者声なきSOS 宮城で家族の死者・不明26人に

 東日本大震災は、日常的な支援が欠かせない障害者から、頼りとする肉親を奪った。自ら「SOS」を発することすらできない障害者の生活を、どう立て直せばいいのか。混乱の中で障害のある人たちの保護に奔走する特別支援学校や福祉施設の苦悩も深い。

◎福祉施設は壊滅的被害 迅速復興へ規制緩和を

 塩釜市など2市1町で障害者支援施設9カ所を運営する社会福祉法人「嶋福祉会」は、施設5カ所が被害を受けた。

 このうち多賀城市の通所自立支援施設「さくらんぼ」(利用者20人)は、砂押川と仙台港の両方から津波が直撃して全壊。幸い人的被害はなく、4月から市の老人福祉センターを借りて就労支援事業だけは再開できた。

 借用期間は9月末まで。それまでに新たな活動拠点を確保しなければならない。通所者の利便性を考えて理事長の石田真さん(45)は「元の場所の近くに施設を構えたい」と話す。

 だが、市域の3分の1は津波の被害に遭っており、100平方メートル近い賃貸物件を見つけるのは難しい。元の場所に自前で施設を建て直せば、費用は1000万円近くかかるとみられる。

 2010年7月に開設した特別養護老人ホームの借入金2億円も残っている。この特養ホームも水没してしまい、再建資金の見通しは全く立たない。震災に伴う公的支援について石田さんは「農林水産業や企業だけでなく、福祉分野にも援助してほしい」と訴える。

 福祉施設は、医務室や食堂などの設置基準が全国一律に定められている。石田さんは「迅速な復興のためには、被災地特区で規制を緩和するべきだ」と強調する。

 障害者の就労支援を続けようにも、震災前から請け負っていた工場など清掃作業の受注先そのものが被災してしまった。辛うじて市施設の清掃と廃品回収だけは続けているが、毎月43万円あった売り上げは、以前の1割にまで減った。

 作業に従事した障害者に支払ってきた月々2万円の賃金は、その半分を出すことさえおぼつかない。

 当座の仕事として浸水住宅のクリーニングを始めたが、5人の職員は法人が運営するグループホームの宿直をこなしながら、日曜日も交代で働いている。

 「津波で怖い思いをして、避難所を転々とした震災直後より、日々良くなっているよ」。こう障害者を励ます職員の負担は、日ごとに増している。

(足立裕子)

◎支援学校よりどころに 2次避難へ ストレス懸念

 石巻市では宮城県石巻支援学校(児童生徒148人)が震災後、障害のある子どもたちや家族のよりどころとなった。

 避難所での生活が難しい子どもも多く、震災当日だけで5家族が避難。その後、一時は在校生の10家族を含む約80人が学校に身を寄せた。自閉症の子どもがいて約1週間、車で避難生活を送った末に学校にたどり着いた家族もいたという。

 学校も避難先に困っている家族を積極的に受け入れる方針を打ち出した。子どもの障害などに合わせて7教室を生活スペースに提供。教職員が2時間おきに巡回した。

 飲食店パートの熊谷宏美さん(34)は、手足が不自由な小学部5年の長男司君(10)と2人暮らし。自宅に大きな被害はなかったが、2010年10月に心臓の手術を受け、司君を背負って長時間、配給や買い物の列に並ぶことができない。震災後3日ほどは水も食料も入手できず、学校に避難したという。

 震災後、司君は何度か高熱を出すなどしたが、ようやく避難生活に慣れたという。熊谷さんは「周りに知っている人がいると安心するようだ。笑顔を見せる回数も増えた」と安堵(あんど)の表情を浮かべる。

 ライフラインの復旧が進み、学校に身を寄せているのは現在、在校生の5家族を含む計26人にまで減った。学生ボランティアの支援や避難家族による自治運営も始まった。

 教職員の仕事は避難者の世話から、5月12日の授業再開に向けた準備に力点が移りつつある。20日には、子どもたちがストレスを感じることなく避難者全員で移動できる2次避難先の提供を市に要望した。

 桜田博校長は「避難者にはさまざまな事情があり、2次避難にも特別な配慮が求められる。自治体とともに、在校生、避難者それぞれが不安を感じずに済む方策を探っていきたい」と話している。

(門田一徳)

◎犠牲 通所の4人に迎え来ず

 心身障害者の作業所などを運営する名取市の社会福祉法人「みのり会」では、サービスを利用する障害者4人の保護者が津波の犠牲になった。

 理事の笠井晃さん(59)は「親なしには生きていけない人ばかり。将来を考えるとつらく、胸が苦しくなる」と表情を曇らせる。

 震災当日、名取市沿岸部の施設では、約40人が廃油回収などの作業に取り組んでいた。地震後、全員が市民体育館に避難し、それぞれ親の迎えを待ったが、4人に迎えは来なかった。職員が手分けして捜した末、いずれも保護者が津波の犠牲になったことが分かった。

 笠井さんは「何も考えられないくらいショックだった。抱き締めてあげることしかできなかった」と語る。

 4人の障害の程度はさまざまで、親を亡くした事実への反応も異なるという。重度の知的障害がある女性(23)は父母、祖父母、弟が津波に流された。そのことを理解できず、時々「お父さんは?」と聞く。

 軽度知的障害者の小林新吾さん(39)は、唯一の肉親だった母親の葬儀で、手を合わせながら泣いた。「ありがとうございました あとはゆっくりねむってください」。手紙をひつぎに入れた。

 みのり会に入所施設はなく、4人を長期間保護するのは難しい。重度の2人は4月中旬、宮城県大和町の障害者支援施設に入所した。小林さんら2人も5月中に岩沼市のグループホームに移る予定だ。

 「できれば、いつの日か呼び戻したい」。笠井さんは今、地元を離れた重度の2人が入居できる介護施設を建設したいと思っている。

 「親を失った上、友達とも離れなければならないのはかわいそう。慣れ親しんだ古里に、安住の地を提供してあげたい」

(神田一道)

2011年04月25日月曜日

 最初の記事にありますが、震災により被災地の障害者施設は甚大な被害を受け、施設の復興のためには、莫大な費用がかかります。がんじがらめに縛るのではなく、人を大事にする、困っている人をたすける法律や制度であってほしいと思います。

 前にも書きましたが、被災地の福祉施設の職員の心労は、すでに限界に達しています。彼ら自身もまた被災者であるにもかかわらず、不安を訴える障害のある人やお年寄りに明るく接し、励まし続けています。家族もまた同様です。

 「みやぎ支援センター」など、民間は震災直後から、いち早く動いています。厚労省をはじめとする国の動きがまったく見えません。一体いつになれば動きだすのか、強い憤りを感じます。

 記事にもある通り、就労支援(授産)事業も、売上や受注が激減し、障害のある人たちに震災前と同じ給料を払うことができなくなっています。そういう状況に対して、少しでもお手伝いになればというのが、4月30日の「大物産展」開催の目的です。

 開催まであと4日。天気に恵まれ、たくさんのお客様においでいただけることを願っています。

「event02.doc」をダウンロード

(天野)

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