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大地震から1カ月。余震が続く中で、不安な生活が今も続いていることを忘れてはならない

 震災から1カ月。派遣4日目を迎えた「みやぎ支援センター」に派遣中の職員からの報告を聞いても、被災地の障害のある人たちの生活の大変さは、震災直後からあまり変わっていません。いや、かえって避難所等での不自由な生活を送ることで、ストレスや不安が大きくなっているようです。

 昨日(10日)の「河北新報」の朝刊1面の「河北春秋」(読売の「編集手帳」や朝日の「天声人語」、日経の「春秋」に相当するコラム欄」に、避難所生活を送っている障害のある人たちに思いを寄せる次の文章が掲載されていました。

 (「河北新報」・「河北春秋」より)

▼避難所の生活は誰にとってもつらく厳しい。障害のある人やその家族であれば、なおさらだろう。 一般の避難所では施設が不十分だし、ほかの住民に迷惑を掛けているのではないかと、家族は肩身が狭い。

▼秋田市の障害者の親でつくる「そよ風の会」代表を務める田中陽子さん(60)は新聞で被災した障害者と家族の記事を読むたびに、いたたまれなくなる。とても人ごととは思えないからだ。

▼会には自閉傾向の強い子を持つ親が多い。環境の違う避難所でストレスが余計に掛かり、情緒が不安定になりがちな息子や娘をつい想像してしまう。時に発作を起こすので家族の不安が目に見える。

▼田中さんは34歳の娘のことを考え、災害などに備え水や食料などを自宅に備蓄している。しかし、今回の大震災は想像をはるかに超えた。薬がこんなに不足するものなのか、と学ぶことは多い。

▼会では、平常時でも障害者が安心して暮らせる地域づくりに向け、行政に働き掛けている。同時に仙台市のボランティア団体を通して、同じ境遇の人たちに段ボール箱4個分のおやつや下着、栄養剤などを送った。

▼「障害者の親は常にいっぱいいっぱい。でも、自分がそうなったらと考えると、支援しないわけにいかない。これからも被災した仲間に「思い」を届けるつもりだ。

(以上)

 社会面にも、障害のある人の避難所での生活が紹介されています。以下に、記事を転載します。

ふんばる 3.11大震災/試練、みんなで越える

◎災害弱者抱え試行錯誤
障害ある家族支える嶋田寿さん(58)=仙台市 

 「おやじや悟たちは、いつまでここにいられるのだろうか」。仙台市宮城野区蒲生の嶋田寿さん(58)は、先の見えない日々に不安を募らせている。

 自宅で同居していた父房寿さん(90)、妻雅子さん(56)、次男悟さん(32)の3人が、障害者向けの「福祉避難所」に指定された同区大梶の区の障害者施設にいる。

 悟さんは水頭症で3歳ごろから知的な発達が止まり、脳性まひで手足が不自由だ。房寿さんは2年前からアルツハイマーの症状が表れている。

 嶋田さんは電気料金徴収の仕事をしながら、2人を日中、施設に預け、雅子さんと共働きをしてきた。が、雅子さんも昨年11月、脳梗塞で倒れた。左半身まひなどの障害が残り、職場復帰を目指してのリハビリを支えるさなか、3月11日の震災が起きた。

 福祉避難所では、職員やヘルパーが24時間、被災者を見守ってくれる。「車椅子や手すり付きトイレなど設備も整っていて、安心した」と嶋田さん。しかし、ここは一時の避難所でしかない。

 自宅のある蒲生地区は海岸に近く、地震後、津波が襲来した。房寿さんと悟さんはそれぞれ離れた施設で無事だった。家にいた雅子さんは地震の後、車で近くの小学校に避難し、大津波警報でさらに高台に逃れた。

 市中心部にいた嶋田さんは、自分の車で施設を巡って父と次男を乗せ、被災を免れた同区中野の長男浩さん(34)一家のアパートへ避難した。翌12日になって、雅子さんも自力でたどり着いた。

 嶋田さんらはそのままアパートに身を寄せた。しかし、障害のある家族には慣れない環境だった。

 「トイレや階段に手すりやスロープがなく、体重80キロの悟を介助するのは一苦労だった。悟も日ごと表情をなくしていった」。高齢の房寿さんも停電で暖房がない部屋で体調を崩した。

 福祉避難所は、雅子さんが相談した区役所窓口の紹介で、すぐ受け入れてもらった。

 嶋田さんは塩釜市にある職場の断水が続き、徴収先の会社などの被災も相次いだことで、仕事がない状態になった。だが、「今は家族が優先」と、浩さんの手伝いで自宅の片付けに通った。

 「みんなでいつまでも暮らせるように」とバリアフリーで造った家は、1階に泥がたまり、床や壁に真っ黒にこびりつき、「すぐ住める状態ではない」。悟さん、房寿さんが通った施設も送迎サービス中止で、まだ受け入れ状態にはない。

 利用できそうな福祉関係の制度も探した。国の「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」はあるものの、主眼は避難誘導。災害弱者の生活再建を支える仕組みは未整備だ。

 幸い、嶋田さんの職場は今月5日に再開した。一方で悟さんの体調は優れず、一時、医師や看護師がいる別の施設に移った。

 しばらくは家族ばらばらな状況が続く。でも、決して諦めない。「悟の障害も家族で乗り越えてきた」。今度の試練も家族みんなで乗り越えるつもりだ。(佐久間緑)

2011年04月10日日曜日

 地元紙の記者が、地域にしっかり密着しながら、ややもすると埋もれてしまいがちな、こうした情報を記事にして、発信してくださっていることを、とても嬉しく、また、頼もしく思います。

 みんながみんな被災地にボランティアに行けるわけではありません。また、もし、そんなことになると、かえって被災地が混乱してしまうことにもなりまねません。

 たとえ、被災地に行かなくても、できる支援がたくさんあります。現地の情報を再発信して、より多くの人に伝えること。何よりも、震災を受けた被災地のことを忘れないことが大切です。

(天野)

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