« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月

太く長い被災地の復興支援をおこなっていきたいという気持ちが一層強くなりました

 東北地方のブロック紙 河北新報の3月31日付夕刊にも、被災地の障害のある人たちに関連する記事が掲載されていました。良くも悪くも、こうして、障害のある人たちに関連する記事が掲載されるようになってきたことは、被災地が少しずつでも、復興に向けて動き出していることの証であると思います。

 今回もリンク切れを考慮して、以下の記事の全文を転載します。

「情」に守られ通所者無事 住民が避難手助け

 

 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた仙台市若林区荒浜地区に、通所者全員が無事だった授産施設がある。和菓子や和紙を製造する「まどか荒浜」。施設は津波にのみ込まれたが、地区住民にも助けられ、安全な場所に避難することができた。

 社会福祉法人「円」が運営するまどか荒浜は、海岸から約1キロの場所に立つ。震災当日の11日は、軽度から中度の知的障害がある通所者44人が作業に従事し、茶菓を提供するコーナーも営業していた。

 地震発生から間もなく、職員10人が送迎バス3台と自家用車で通所者を近くの七郷小に避難させた。しかし、既に避難者であふれていたため、さらに約400メートル離れた七郷中体育館まで移動しなければならなかった。

 職員によると、体育館に移る際、複数の住民が通所者の車いすを押したり、おぶって運んだりするのを手伝ってくれた。停電で真っ暗な夜間は、不安がる通所者を気遣って声をかける住民もいたという。

 「いたわりや助け合いの心が息づく荒浜の住民に助けられた」と施設長の中村正利さん(78)。多くの住民が地区を離れている状態が続くが、「早く住民に感謝の気持ちを伝えたい」と願う。

 通所者は全員無事だったが、女性職員1人が亡くなった。通所者を誘導後、連絡先を記した張り紙をしようと施設に戻った際に津波に巻き込まれてしまった。

 平屋の施設も鉄骨だけを残して全壊。一部の通所者は現在、太白区の別の授産施設が受け入れているが、大半はガソリン不足で移動できず自宅待機中。施設の再建も含め、事業再開のめどは立っていない。

 それでも、「住民と共に荒浜で再出発したい」と中村さん。人情に厚い地元での再建策を模索している。(武田俊郎)

2011年03月31日木曜日

 利用者の人たちが、地域住民に支えられ、全員無事であったことを喜ぶと同時に、亡くなれた女性職員の方の勇気を讃え、ご冥福をお祈りします。

 危険を冒して、ただ一人、張り紙を貼るために、施設に戻られたのも、利用者のご家族が、「きっと、障害のある人たちの安否を気にするに違いない」という優しい心づかいがあってのことだと思います。

 亡くなれらた女性職員の意思を受け継ぎ、太く長い、復興支援の活動にとりくむことが同じ福祉の現場で働く私たちの使命であるという思いが一層、強まりました。

(天野)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

被災地の避難所で暮らす障害のある人たちの大変さを知ってください

 河北新報社(東北地方のブロック紙)のホームページに、避難所で暮らす障害のある人たちの様子を報告する記事がありました。

 この先、リンク切れも考えられるので、全文を下記に転載します。

要援護者 届かぬ手 知的・精神障害者や高齢者

◎不足する福祉避難所・専門職員/受け入れ縮小に困惑/仙台

 障害のある人や高齢者ら要援護者は、震災に伴う環境の変化がストレスとなり、心身ともに不安定な状況になりやすいとされる。東日本大震災の被災地でも、要援護者の支援が課題になっている。

 仙台市は、指定避難所での生活が難しい障害者や認知症の高齢者らを、市内の福祉施設で受け入れているが、施設は満員状態だ。自宅や家族を失った障害者も多く、市は、今後の受け入れ態勢の整備を急いでいる。

 市は、福祉施設や特別養護老人ホームを、ケアが必要な高齢者らを受け入れる「福祉避難所」として指定した。震災後、市内30カ所の施設が、約230人を受け入れた。

 福祉避難所となった障害者生活支援センター「ハンズ宮城野」(仙台市宮城野区)では25日現在、認知症の高齢者や心身障害者11人が、寝泊まりしている。

 避難者の一人で、同区の菅谷幸子さん(37)は、軽度の知的障害者で、足にも障害がある。父清彦さん(75)の介助を受けながら、車いすで生活している。

 菅谷さんらは、中学校の体育館など2カ所の避難所で、5日ほど過ごした後、ハンズ宮城野に移った。

 学校など、地域の避難所は、手すりや障害者用トイレといった設備が不十分で、見知らぬ人に囲まれると情緒が不安定になる心配もある。障害者生活支援センターは、もともと通所施設だが、障害者用設備が整い、職員が24時間体制で見守る。

 清彦さんは「障害者が生活できる環境を探すのは大変。ここに来ることができて助かった」と語る。

 しかし、福祉避難所に指定された施設は現在、すべて定員に達し、新たな受け入れができない。現在、避難を希望する20~30人の避難先が決まっていないという。

 市は、4月上旬を目安に、「施設を通常サービスに戻す」(健康福祉局)として福祉避難所の規模を縮小する方針だ。現在避難している障害者には、それぞれの事情に合わせて、別の施設や仮設住宅に移動させるという。

 菅谷さんの避難所は、31日に閉鎖する予定だ。しかし、自宅1階はまだ泥だらけ。清彦さんは「わたしだけなら何とかなる。障害がある娘は、どうしたらよいのか」と不安を募らす。
(佐久間緑)

◎心身不安定/ほかの避難者もストレス限界/陸前高田

 200人以上が避難生活を送る陸前高田市内の公民館。重度の知的障害のある男性が、夜中に走り回ったり、所構わず排せつをしたりするなどの行為が続いた。ほかの避難住民から「安心して寝られない」との不満が相次いだ。

 避難所の担当者が、地区の民生委員を通じて保健所や市役所に相談。当面、専門施設に移れるよう手配し、一緒に避難している母親や本人との話し合いを進めている。

 担当者は「震災で本人の心身が不安定になっている部分もあるだろうが、ほかの避難者のストレスが限界に近づいた。集団生活が基本の避難所で、障害者にどう対応するか、調整が難しい」と頭を悩ませる。

 高齢者のケアも限界に来ている。陸前高田市で最も多い約1200人が避難する第一中。高齢者専用の部屋でボランティアとして働く大浦貴美子さん(53)は介護業務に日々追われる。

 「支援を必要とするお年寄りは多いのに、専門知識を持つボランティアが圧倒的に少ない」
 部屋で暮らすのは認知症や半身まひなどの症状のある高齢者約20人。多くが排せつや食事などで介助を必要としている。

 一方で、介護知識のあるスタッフは2、3人にとどまる。震災直後から働きづめのスタッフの疲労はたまる一方だ。
(神田一道、菊池春子、佐藤理史、剣持雄治)

2011年03月31日木曜日

 ウィズ町田でも、被災地の障害のある人たちを受け入れるべく、4月に開所予定のケアホーム「まいん」の1ユニット(5室)の提供を決め、町田市および東京都の所管部に、受け入れ可能の意思を伝えています。

 昨日、開設した「みやぎ支援センター」とも連絡を取り、早期に受け入れを実現したいと考えています。

(天野)

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

「みやぎ支援センター」の立ち上げ、復興支援のイベント開催の具体化

 昨日(29日)の午後、ウィズ町田の職員2名(小野理事と「なないろ」の生津職員)が、宮城県仙台市に向けて旅立ちました。

 今回の目的は、日本障害者フォーラム(JDF)の被災障害者支援活動に協力して、仙台市太白区にある共生福祉会仙台ワークキャンパス内に「宮城県 被災障害者支援センター」(以下、「みやぎ支援センター」)を開設することです。

 昨日、7時間半かけて、午後9時過ぎに無事、現地に到着したとの連絡を受けました。また、今朝もらった電話では、本日は、午前中に宮城県および仙台市の行政を招いて、開設式をおこない、午後からは早速、各市町村を回り、被災した障害のある人たちの現況調査と行政に対する要請・要望行動をおこなうとのことです。

 並行して、固定電話の開設とPCの接続、ホームページの開設準備をおこなっているということなので、もう少しすれば、現地との連絡もより容易になるものと思われます。

 先週、私も現地に行き、ガソリンの入手がとても困難であることを身をもって体験したので、こちらに戻ってからは、タンクローリーの調達手段をいろいろと当たってみましたが、なかなか思うような結果を得ることができませんでした。今朝も、最終手段として、ガソリン携行缶の調達について、法人内の情報共有メールで指示していたところ、午後一番に現地のH福祉会からメールをいただきました。

 今週に入り、宮城県内のガソリン事情にも改善の兆しが見られ、今日現在、H福祉会の車両は、ほぼ満タンのガソリンを入れることができたとのことです。

 時間の経過に連れて、現地で必要な物資が刻々と変わることを改めて知らされました。それだけに本日から、「みやぎ支援センター」が立ち上がったことで、今後は、現地の要望によりタイムリーに応えていくことができるものと思われます。

 ライフラインや道路等のインフラの復旧が進み、現地の食料や燃料事情が幾分、改善されてきたとはいえ、地震や津波で住居を失くした方々の避難所生活は依然として、大変な不自由を強いられる状況が続いています。障害のある人たちの中には、避難所で集団生活を送ること自体が困難な人も多く、そのような人たちの生活の様子はほとんど伝わってきません。

 原発事故の被害を受けている福島県相馬市では、住民の多くが避難した危険区域に全盲の夫婦が取り残されていたという事態も起きています。(24日に救出)

 「みやぎ支援センター」には、現地のH福祉会からも3名の職員を常駐させ、東京や埼玉から支援に入った人たちと協力しながら、まずは、宮城県全体の障害のある人たちの現況を確認し、復興に向けての具体的とりくみを実施していきます。

 震災後、休所していたH福祉会の8事業所も、先週から徐々に再開し、来週までには、すべての事業所で通所開始になるとのことです。震災後、不安な生活を送っていた障害のある人たちが久しぶりに仲間と再会することで、元気を取り戻してくれることを心より願っています。

 事業所に戻った障害のある人たちが本当に元気になるためには、これまでとりくんできた「仕事(作業)」の復旧が喫緊です。震災で授産の設備に損傷を受けた事業所もたくさんある中で、今までどおりのことをやるだけではなく、まったく新しいものチャレンジすることも必要になってきます。

 H福祉会の理事長さんからは、町田作業所連絡会などに対して、次のようなご要望をいただきました。

 「是非、被災地作業所の商品の販売に知恵を絞っていただけないでしょうか? 作業所の自主製品はもちろんですが、被災地の産物も併せて販売の対象にし、その業務を作業所が担当できるといいと思います。(そうすることで、障害のある人たちが)被災地復興の一翼が担えると思うので。」

 「勿論、消費者が必要としている商品でなければ売ることはできません。そのことが商品開発のきっかけにもなりますし、授産事業の大きな質的転換になるのではないかとも思います。この大きな災いを発展の契機にしなかったら復興の意味がありません。」

 

 要望を受け、「それでは、被災地支援を目的に、東北地方の大物産展を町田の中心市街地で開催したい。できるだけ早期に!」と提案をさせていただいたところ、「是非、実現しましょう!」との返事をいただきました。

 「具体的な目標があれば、頑張ることができる」

 まさに、その通りだと思います。

 具体化に向けて、早速、動きだすことにします。

(天野)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

東北大震災による岩手県・宮城県の被災地への派遣報告

昨日(27日)、宮城・岩手の被災地派遣から戻ってきました。

本日(28日)開催予定の第3回ウィズ町田震災支援対策会議で報告する概要を以下、簡単に記してみました。

●岩手派遣隊(3名)行動概要

3月25日(金)

町田を7時に出発。14時に宮城県南部の柴田町にある「H福祉会」本部に到着。法人理事長他から、宮城県内のきょうされん加盟施設の現状を伺う。

15時30分に柴田町を発ち、21時に岩手県遠野市に到着。総合福祉センターで宿泊。

3月26日(土)

遠野市在住の知人の案内で、釜石市、大槌町、山田町、宮古市の被災地を回る。宮古市のW福祉会の知的障害者入所更生施設W学園と、宮古市(旧田老町)の社会福祉法人SのグループホームMおよび就労継続支援事業所Mで救援物資の受け渡しと情報収集。16時30分に田老町を発ち、盛岡経由で、帰途につく。東北道の福島西IC~二本松IC間が事故のため通行止めになり、22時30分 国見SAで車中泊。

3月27日(日)

11時に町田帰着。

●宮城県の状況

きょうされん宮城支部加盟団体(21事業所+支部事務局)の被災状況(「H福祉会」で情報収集

・2つの事業所で、1名ずつ計2名の利用者の方が亡くなられ、3つの事業所では、家族が亡くなったり、行方不明の方がいらっしゃるとのこと。また、自宅が津波で流出した方も多数で、H福祉会の8つの事業所では、14名の知的障害のある利用者の人が現在、避難所生活を送られているとのことです。

・施設建物に損傷を受けた事業所は8つ。その内、女川町にある事業所は津波で施設が流出してしまったということです。

・25日現在、ライフラインはほぼ復旧しつつありますが、4つの事業所では、まだ水道が復旧していないため、大変な不自由を強いられています。

・ガソリン不足が深刻で、まず、職員が事業所に出勤できない。物資が運べない。利用者の送迎はまったく再開の見込みが立たないといった状況です。

●岩手県の状況

・甚大な被害を受けた沿岸部の各自治体までほぼ等距離にあるということで、遠野市が救援物資輸送の前線基地になっているが、ガソリン不足が影響して、物資の輸送もままならない状況が続いている。

・遠野市、釜石市の自治体の対策本部、社協のボランティアセンターを訪ねたが、障害者施設の状況に関する情報は、まったく得られない状況。

・釜石市から、宮古市にかけて沿岸部を走行したが、津波の被害にあった地域は、壊滅状態になっている。道路は通行できるが、道路脇はガレキの山となっている。倒壊した家屋やへしゃべた放置車両には、ペンキで生存確認済の印がつけられている。物資輸送とガレキの撤去に多数の自衛隊員が黙々と励んでいる。

・倒壊した家屋の解体・撤去には、所有者の承認が必要なため、所有者自体の安否や避難先が判明しない中、手がつけられない状況になっている。

・訪問した2つの障害者施設では、人的被害や建物の損傷はないが、震災直後からライフラインが復旧するまでの10日間以上、不自由な生活を強いられた。GHの管理人さんは、地震直後に、安否確認のため自宅からGHに駆け付けたが、その後、すぐに自宅は津波で流失したという。「この人たちのおかげで命が助かった」と話されていた。

・水道復旧までの間、避難所に水をもらいにいったが、水不足もため、冷たい対応を受けたという。今後、避難所生活が長引く中で、避難されている方の疲労やストレスが蓄積されるに連れて、避難所で生活している障害のある人たちにとっては、辛い目に遭うことが増えるのではないかと心配される。

●現地までおよび現地の交通の状況

・3月24日(木)午前10時から、規制が解除され、東北自動車道の全区間で一般車両の通行が可能になっている。これに伴い、各警察署での「緊急車両通行標章」の交付は停止されている。

・道路状況は、福島県内、宮城県内では、路上に段差が生じている箇所が多数あるが、通行には問題ない。区間によっては、50キロ、80キロの速度制限が実施されている。

・SA、PAでの給油は、北に行くほど困難になる。2,000円上限などの給油制限が実施されており、長いところでは、給油までに1時間30分の待ち時間が必要。また、仙台手前の菅生PAなどでは、市内で給油ができないため、わざわざ高速に乗り、給油に来る人たちが順番待ちをしている状況。SAのレストラン等はまだ営業していないところも多数ある。

・現地の一般道は通行可能だが、営業していないGSが多数。営業中のGSには給油を求める車列が並んでいる。給油制限があり、整理券を配布して、1時間たらずで売り切れになってしまう状況。前日からGS前に車を置いて、給油待ちしている方もいる。

・帰路、宮古市から盛岡に向かう峠道では吹雪に見舞われた。30分くらいで道路の積雪は3~5センチになり、バンパーが氷結した。また、車中泊した国見SAで降雪。福島飯坂IC~二本松IC間はチェーン規制となった。

●現地に支援に入る際の留意事項

・燃料(ガソリン)、食料、飲料水、寝具、防寒具等持参の「自己完結型」支援が前提。

・天候、地域によっては、4月中も降雪・積雪の可能性があるので、スタッドレスタイヤの装着が必要。(現地では、チェーン装着の車はまったく見られませんでした)

・現地で被災された方は、家族や親戚、知人を亡くした方や行方不明の方が多い。また、津波に家族がさらわれる様を目の当たりにした方もいらっしゃる。ご本人から話しだされるまで、細かい状況を聞くのは控えた方がよい。また、話しだされたときには、途中で口をかかさず、傾聴することが大切。

・救援物資を届ける際には、リストを作成し、必要な物資を選んでいただく。衣類は品別、サイズ別、男女別に細かく整理しておくことが必要。女性用の肌着、歯ブラシ、歯磨き粉、爪切り、老眼鏡など、細かな物資が不足している。必要な物資は、時間の経過につれて変化するので、事前の情報収集を綿密に。不必要なものを届けても、支援にはならない。

・救援物資は、すべて、こちら(東京)から運ぶ必要はない。現地の避難所等で必要な物資を聞き取り、現地の集積所で搬送の依頼を受けたことを話し、調達することができる。

・現地で今、一番不足しているのはガソリン。少なくとも、自分が行って、帰ってこられるだけのガソリンを携行缶等で確保してから、現地に向かうこと。給油制限はあるものの、高速道路上では、なんとかガソリンが調達できるので、小まめに給油しながら現地に向かう。帰りのガソリン量の見込みが立つようなら、携行缶で持参したガソリンは現地に置いてこられるくらいの余裕がほしい。

・復興までの支援活動は、相当に長期化することは自明。東京など都市部の「時間感覚」でせっかちな支援は行わず、現地の習慣や考え方、ペースを尊重した支援をおこなうことが大切。

 実際に被災地を訪ねて、改めて、確認できたことは、震災後2週間以上経過したにもかかわらず、被災された方々の状況は大きく改善されておらず、一般の人たちの生活状況もままならない中で、障害のある人たちなど、災害弱者の人たちは、それ以上に深刻な状況にあるということです。

 現地で聞いても、今回の震災では地震そのものによる被害は小さく、地震後に発生した大津波によって、甚大な被害がもたらされています。

 宮古市のある町では、車を降りて、避難所となっている小学校から、港まで歩いてみましたが、津波が押し寄せた場所では、大型観光船が港から100メートル以上も陸地に押し流され、船の下には車が何台も押しつぶされていました。港から400メートルくらい離れたやや高台にある小学校までの間の民家はすべてガレキと化していました。

 テレビや新聞で見る光景が、限られた一部の地域だけではなく、千葉県から茨城県、福島県、宮城県、岩手県、青森県までの500キロにも及ぶ沿岸地域すべてで起こった紛れもない事実であることに言葉を失います。

 被災された方のお話を聞くと、「自分はなんとか助かったけれど、家族や親戚が津波にさらわれた」という方が大勢いらっしゃいます。「亡くなった」ではなく、「さらわれた」「連れて行かれた」と話されることに、人力ではどうしようもなかった無念さ、悔しさ、辛さを思い、胸が痛みます。

 岩手県沿岸部の集落は、リアス式で入り組んだ湾の奥に集落があり、集落と集落の間には峠を越える道路しかなく、車がなければ移動すら困難です。深刻なガソリン不足が続く中、折角、全国から寄せられた救援物資が自治体の集積所に届いても、そこから、避難所などに物資を運ぶ手立てがない状況です。

 現地で行動を共にした遠野市在住の知人が、血液にたとえて、動脈には血液が流れているが、毛細血管にはまったく血液が流れていない状況になっており、このままでは、壊死してしまうと話していましたが、まさにその通りです。毛細血管の先がどのように傷つき、どんな手当が必要かをしっかり把握した適切な支援が強く望まれます。

 絵葉書のような美しい風景でも、いつもそこにあれば、見慣れて、感動を覚えることも少なくなってしまします。それは、平和に満たされているからです。

 しかし、ガレキの山と化した悲惨な光景を、見慣れてしまって、何も感じなくなってしまうようなことは全体にあってはならないことです。

 ガレキの下に埋もれてしまった平和な日常を(もちろん、それはまったく元通りに戻ることではありませんが)少しでも早く取り戻せるように、被災された方の心に寄り添えるような息の長い支援に今後、とりくんでいきたいと考えています。

(天野)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

明日から2泊3日で岩手に行ってきます

 昨日から、福島県に派遣していたウィズ町田の職員2名が無事、東京に戻ってきました。

 JDF(日本障害フォーラム)ときょうされんが共同で立ち上げる現地救援センターの設置準備のため、福島県内の震災による被害状況を確認してくることが今回の任務でした。

 昨日、郡山市内に入り、現地の作業所の方と、今後の動き方について打ち合わせた後、今日は、浜通りのいわき市の作業所を訪問し、救援物資の受け渡しと調査をしてきたということです。いわき市をはじめとする福島県の太平洋沿岸の市町村は、地震と津波による被害に加えて、福島第1原発の事故で、まさに三重苦の中にあるという厳しい実態を目の当たりにしてきたということです。

 職員のうち1名は、直接、町田に戻らず、18時から中野区で開催している「きょうされん東京支部」の支援対策会議に出席して、今頃は、視察の報告をおこない、今後の支援策を検討しているはずです。

 先週、お邪魔させていただいた宮城県の法人の理事長さんと、今日の午前中、電話でお話をさせていただきました。明日、再度、訪問させていただきたいとお話したところ、ライフラインがほぼ復旧しつつある仙台市を中心とする宮城県よりも、むしろ、岩手県や福島県の沿岸部の状況が深刻なので、救援物資は、ぜひ、そちらに回してほしいという要請を受けました。

 阪神・淡路大震災のときに、現地の支援に入った経験がある岩手県遠野市在住の知人と連絡をとったところ、やはり、岩手県の沿岸部の状況は、相当に厳しいものであることが判りました。すでに、地元の消防団員として、釜石市や大船渡市に支援に入ったという知人に、現地の被災した作業所支援のための案内・協力をお願いしたところ、二つ返事で引き受けてくれました。

 というような経過で、明日から2泊3日の日程で、私と、「らいむ」の新人職員2名(島田職員、見竹職員)で、「なないろ」の車両を借りて、岩手県に向かうことになりました。

 少しでも多く、救援物資を持っていこうと、夕方から、「らいむ」の職員で、お店を回って、品物をかき集めてきましたが、やはり、東京でも品不足が目立ち、なかなか思うように、品物を集めることができませんでした。

 ウィズ町田では、現地に救援物資を届けるだけでなく、避難所で集団生活を送ることが困難な重い障害のある人たちの受け入れ先として、4月に開所予定のケアホーム2ユニットのうち、1ユニット(5室)を提供させていただくことを決定して、昨日、町田市と協議をおこない、東京都に受け入れ調査票を提出しています。できれば、今回の派遣先で、受け入れが具体的になるよう現地の方との打ち合わせもしてきたいと思っています。

 被災地の支援は、まだまだ始まったばかりです。これから先、太く長い支援が必要です。現地に赴き、本当に今、何が必要か、しっかりと現地の声を聞いてきたいと思います。今後、ウィズ町田として、募金活動を通して、皆様にご協力をお願いしていくことが多々あるかと思いますが、何卒、ご理解とご支援をよろしくお願い申し上げます。

 それでは、行ってまいります。

(天野)

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

宮城県仙台市に派遣した職員の動き(報告その2)

 昨日から、宮城県仙台市に派遣していた第2赤い屋根の糀谷施設長を隊長とする3名の職員が無事、町田に戻ってきました。

 昨日の「報告その1」以降の、帰着までの動きは、下記のとおりです。

 

●3月18日(金)

13時 仙台市太白区 森徳とうふ店に到着

13時40分 救援物資を引き渡した後、はらから福祉会本部(宮城県柴田郡柴田町。仙台市太白区から南に約25キロ)をめざし、出発

14時30分 はらから福祉会本部に到着。救援物資の引き渡し後、法人内事業所の被災状況について伺う。

16時30分 はらから福祉会本部を出発

17時20分 森徳とうふ店に到着

森氏の案内で、津波の被災地を視察後、森徳とうふ店で宿泊

●3月19日(土)

8時15分 仙台を出発

10時30分 東北自動車道 安達太良SA 給油できず

11時50分 那須高原SAで給油

12時15分 那須ICを通過

14時 栃木ICを通過

15時 川口JCTを通過し、首都高に入る

16時50分 「赤い屋根」(町田市)に無事到着!

 派遣期間中は、計画停電の地域指定のない中町1丁目にある「らいむ」に本部を置き、派遣隊と携帯電話とメールで連絡を取り、行動中の様子を、法人内全事業所の管理者(代行者)に逐次、メール発信し、情報の共有に努めました。

 まずは、法人を代表して、今回の派遣に自ら志願してくれた糀谷職員、尾藤職員、猪俣職員に労いと感謝の言葉を述べたいと思います。また、彼らを送り出してくれた家族の皆さんにも多大な心配や不安を与えてしまったことのお詫びとお礼を申し上げます。

 被災地で被災者の方のナマの声を聞き、悲惨な被害現場を直に見たことで、言葉では尽くせないショックを受けたことと思います。3人の職員に非常に辛い思いをさせてしまったことを本当にすまなく思います。

 22日に開催する「第2回震災支援対策会議」で、しっかりと3人の報告を聞き、ウィズ町田として、今後、実施する被災地支援に最大限、生かしていくことで、3人の苦労に報いていきたいと考えます。

 今回の派遣先である「はらから福祉会」の武田理事長から、本日午後に、お礼の電話をいただきました。「はらから福祉会」の利用者・職員の中には、家族の安否がいまだにつかめない方、震災で自宅を失った方がたくさんいらっしゃり、また、ライフラインの復旧が遅れ、大変なご苦労の中にあるにもかかわらず、「職員を派遣してくれてありがとう」、「東京も大変だろう」と逆に気遣いの言葉をいただき、申し訳なく思います。

 現地で今、一番不足しているのは燃料(ガソリン、灯油)とのことです。今回の派遣では、何とかガソリン50リットルを調達し、現地2か所にお届けしましたが、焼け石に水の状態に変わりありません。

 また、プロパンガスの供給もストップしており、現在、使用中のボンベが空になってしまうと、食料の煮炊きにも問題が発生する深刻な状況になっています。

 福島第1原発の状況が更に不安を煽っており、はらから福祉会の施設のうち、もっとも原発に近い施設では、原発からわずか70キロの距離にあるため、今以上に、避難対象地域が広がるようなことになれば、二重の避難をする事態にもなりかねません。

 22日の会議を経た後、来週には、「JDF(日本障害者フォーラム)」、「きょうされん」がおこなう支援活動に合流するかたちで、岩手、宮城、福島の各県に設置する災害支援センターのうち、福島県のセンター設置準備のための「先遣隊」として、ウィズ町田の職員と車両を福島県郡山市に派遣する方向で検討を進めています。

 その際、現地で不足している救援物資を併せて、持参したいと考えています。ご家庭で使用していない携帯コンロ、カセットボンベ、ラジオ、懐中電灯、乾電池がありましたら、ぜひ、ウィズ町田の各事業所まで、お持ちいただき、ご寄付をお願いします。

 皆様のご理解とご協力を何卒、よろしくお願い申し上げます。

(天野)

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宮城県仙台市に派遣した職員の動き(報告その1)

 3月16日のブログに掲載した通り、理事長による出張命令を発令し、

 東北地方・太平洋沖地震の被災地に、ウィズ町田として、第2赤い屋根の糀谷施設長を「隊長」とする3名の職員を、本日早朝に派遣しました。

 今回の任務は、被災地の取引先と障害者施設に、飲料水、レトルト食品、トイレットペーパー、燃料などの物資を届けるとともに、現地の障害者施設の状況を調査し、ウィズ町田の事業としてとりくんでいる豆腐づくりの原料(豆乳)の供給ルートを確保するというものです。

 先ほど13時に、目的地である宮城県仙台市に無事、到着してとの連絡を受けました。

 本日、現在までの動きは以下の通りです。

●3月17日(木) 

22時45分 出張命令の発令

●3月18日(金)

 4時 町田を出発

 5時40分 東北自動車道 川口JCTを通過(「緊急通行車両確認標章」を携帯)

 7時 佐野SAで給油

 8時45分 那須高原SAで給油

 10時 福島JCTを通過

 11時15分 国見SA 給油できず

 11時50分 菅生PAで給油

 13時 仙台宮城ICから、JR仙台駅を経て、仙台市太白区の目的地に到着

 仙台まで8時間の所要時間でした。

 東北自動車道は、福島県に入ると、

 震災による路肩の陥没や防音壁の損傷が目立つとのことです。また、自衛隊車両の通行が目立つとのことです。

 仙台市内は、道路沿いにガラスの割れた建物が見られますが、道路の通行は問題ないとのことです。また、ガソリンスタンドも営業していますが、こちらと同様に、給油を求める車列が続いているとのことです。

 午後は、仙台市から南に約25キロの距離にある障害者施設を訪問した後、再度、仙台に戻り、1泊した後、明日午前7時に仙台を出発する予定です。

 この間、定時に携帯電話・メールで連絡が取れています。

 長時間の運転・移動で相当に疲れもあると思いますが、電話で話した糀谷隊長の声は張りのある元気なものでした。

 法人内の全事業所で情報共有メールを確認しながら、派遣職員の無事を祈りつつ、それぞれの業務を遂行しています。

(天野)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「らいむ」の事務所移転と、「震災対策会議(第1回)」の開催

 震災後のさまざまな対応で、ご案内が大変、遅くなってしまいましたが、今週初め(3月14日)から、「らいむ」の事務所を移転しました。

 新事務所の場所については、下記、リンクをご覧ください。

「raimumap.doc」をダウンロード

 東北地方大平洋沿岸地震が発生したときは、ちょうど、新人職員たちが引っ越し作業の真っ最中でした。(電車がストップしたため、ふたりの職員が早速に、新しい事務所で夜を明かすことになりました。

 電車が止まり、余震が続く中、今週は、面談や職場訪問は、できるだけ控えるようにしていますが、そんな中でも、就労支援の活動は途切れることなく続いています。

 電車の運休のため、出勤できない登録者の人と事業主さんとの調整、見通しの持てない状況に不安を訴えてくる人への対応に朝から追われています。

 そんな中、本日から1名の登録者の新たな就労が決まり、今朝は4時30分に起きて、職場まで同行しました。

 夜は、法人内事業所の管理者が緊急に集まって、地震発生直後から本日までの各事業所の動きを総括するとともに、今後の対応策を検討する「震災対策会議」を開催しました。

 法人内事業所のことだけでなく、被災した現地の障害者施設の復興に、「自分たちがどんなお手伝いをできるか?」ということ(支援策)についても、討議し、いくつかの具体案を決定しました。

 その第1陣として、今週末に、ウィズ町田から、現地に救援物資を届けるとともに、まずは現地の状況を把握するため、職員数名を派遣することになりました。

 第1陣の出発にあたって、理事長として、3つの条件をつけさせてもらいました。1つ目は、出発前日の午後6時までに、震度5強以上の地震が起きないこと。2つ目は、原発の情勢がこれ以上、悪化しないこと。3つ目は、派遣期間中の定時連絡の徹底です。

 法人のトップとしては、当然、何か不測の事態が起きた時には、その責任を取らねばなりません。正直、「自分が行く方が楽」と言ってしまえば、それまでですが、やはり、今すぐここで、私が、町田を離れて、現地に赴くわけにはいかない中で、今回、志願して、現地に向かってくれる職員に対しては、感謝の気持ちでいっぱいです。同時に彼らの安全を確保するため、最終的なGOサインを出すまで、慎重に慎重を重ねたいと考えています。

 詳しくは、また、改めて、レポートします。

(天野)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不測の事態にも、自分で判断し、冷静に対応した登録者の人たちの姿に感動

昨日(3月11日)、発生した東北・太平洋沿岸地震は、未だにその全貌がはっきりしないほどの、甚大な被害をもたらしています。

被災して、亡くなられた方のご冥福と今なお、安否不明な方のご無事、そして、被災地の一日も早い復興をお祈りします。

首都圏でも、地震直後から、長時間に渡って、公共交通網が全面的にストップする事態に陥り、帰宅が困難になる人が多数でました。

私も、地震が起きた時間には、銀座の企業を訪問中で、居合わせたビルの8階は、生まれてこのかた初めて体験する激しい揺れに見舞われました。

電車での帰宅は早々にあきらめ、とりあえずは、実家がある狛江市をめざして、歩き出しました。新橋から虎ノ門、青山通りから国立競技場に折れて、代々木でようやく山手線の外側に出て、あとは小田急線に沿って、歩きました。

携帯電話がまったくつながらない状況だったので、小田急の参宮橋駅構内の公衆電話から、「らいむ」に連絡を入れて、お互いの無事を確認。経堂駅まで歩いてきたところで、足が限界に来たので、食事を取りながら、電車の復旧を期待しての大休止。

ラジオの情報で、小田急線の復旧は見込みなしと聞き、再び、歩き始めて、成城学園前の手前まで来たところで、高架を走り抜ける電車と社内の乗客の姿を確認。急いで、駅に向かい、復旧を確認。徐行運転の急行で町田まで帰ってきて、重たい足を引きずりながら、「らいむ」に戻ったのが、午前1時過ぎでした。(銀座を出てから7時間30分)

「らいむ」の登録者のうち、現在、企業等に就労中の方は54名。そのうち、勤務先が町田の人が8名で、残り46名の人が町田市外で働いています。その人たちは、当然、私同様に大変な状況に見舞われたのではと思い、今日の午後から、竹内職員といっしょに全員に電話をかけて、状況を確認させていただきました。

46名中、不幸中の幸いというか、公休日等で欠勤していた人が11名でした。おそらく、「らいむ」の登録者の人の中では、一番、遠距離通勤になる川崎市の埋め立て地にある企業で働いている青年も公休日ということで、難を逃れることができました。(それでも、今日は通常通りに、出勤しています)

残り35名の人のうち、山手線の内側にある企業で働いている4名は、全員が会社で夜を明かし、今朝、自宅に戻っています。

川崎市の有料老人ホームで働く1名も、同じく職場に泊ったということです。他にも職場の同僚や親戚の家に泊めてもらった人が数名います。

多摩地域や神奈川(横浜市や相模原市、厚木市など)で働いている人たちは、徒歩や、会社の送迎バスで最寄駅まで、そこから、また徒歩やバスを乗り継いで帰ってきた人が多数です。

ご家族が会社や、最寄り駅まで車で迎えに行かれた方も多数います。また、会社の同僚の方に車で送っていただいた方もいます。

中には、会社近くの避難所や、開放された公共施設で、電車の復旧を待って、帰宅した人もいます。

とにかく、46名全員の無事が確認できて、ホッとしました。

交通網が全面ストップし、携帯電話もまったく通じないような状況の中、大都市のインフラの脆弱さを痛感しました。そんな中にあっても、見事だったのは、今回のような不測の事態に対しても、落ち着いて、しっかりと対応できた登録者の人たちの姿勢や、的確かつ丁寧な指示をくださった事業主(企業)さんの対応の素晴らしさでした。

川崎市多摩区の有料老人で働いているKくんは、地震後も通常の勤務時間まで働いた後、向ケ丘遊園駅から町田まで徒歩で帰ってきました。(町田到着は23時30分でした)

新宿の職場での勤務を終えたSくんは、新宿駅で電車の運休を知り、駅員のアドバイスに従い、都庁の避難所で不安な一夜を明かしました。

新横浜の職場で勤務を終えたKさんは、新横浜駅で帰宅のタクシーを待ち続け、朝の4時過ぎにようやく自宅に帰りつくことができました。

Kくんも、Sくんも、Kさんも、本当に申し訳ないけれど、「らいむ」の職員である私たちでさえ、とても、本人が一人で考え、決断して、こんな的確な対応がとれるとは思ってもみなかった人でした。(それだけに何一つ、手助けすることができなかった、自分たちの無力さが悔やまれてなりません)

イレギュラーな出来事への対応に弱い面を持っている発達障害や精神障害のある人たちの不安やストレスも心配されましたが、電話で話す限りは、みなさん、とても落ち着いて、その時の様子を話してくださったので、少し、安心することができました。

自然災害という予測もできない事態に対して、それぞれに、自分で判断し、冷静な対応をとった「らいむ」の登録者の人たちを誇りに思います。また、企業やご家族のみなさんのご協力に心より感謝申し上げます。

「らいむ」の役割としては、今回の地震後の各登録者、企業、ご家族の動きをデータベース化して、これから先もいつ起こるか知れない、万一の事態に備えて、万全の対応策を考えていくことであろうと考えています。

今日はゆっくり休んで、明日から(来週から)の出勤に備えてください。

登録者の皆さん、ご家族の皆さん、企業等の皆様に感謝です。

(天野)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »