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2008年11月

発表された東京都の「障害者就労支援行動宣言」をチャンスとして活かせ!

 10年間で障がい者の3万人雇用増をめざす「首都TOKYO障害者就労支援行動宣言」が、11月20日に発表された。

 この行動宣言は、東京都の長期計画「10年後の東京」に掲げられた障がい者の3万人雇用増の目標実現のために、昨年10月から「東京都障害者就労支援協議会」で協議してきた成果をまとめたもの。

 この宣言に基づき、東京都、東京都教育委員会、東京都社会福祉協議会、東京労働局、東京障害者職業センター、東京経営者協会、東京商工会議所、東京都中小企業団体中央会の8団体が賛同して、4つの宣言に基づき、10の視点と、20の行動を掲げて、具体的なとりくみを進めていく。

 冒頭の行動指針には、「多様な企業が集積している大都市の特性を活かして、障害者一人ひとりの就労の実現を図り、首都東京から、障害者雇用のムーブメントを起こしていきます」とある。

 全文は資料も含めて、A4 36枚のコンパクトなものなので、ぜひ、プリントアウトしてご覧になっていただきたい。

(「東京都福祉保健局のホームページから、「首都TOKYO障害者就労支援行動宣言」でダウンロードできる)

 2ヶ所目の就労支援センター設置を考えている町田市の職員の方には、まず、視点1「地域で生涯にわたって安心して働ける」の行動1「地域の就労支援ネットワークを構築します」の項目にしっかりと目を通していただきたい。

 「都内全域を6ブロック(城北、城東、城南、多摩北部、多摩南部、多摩西部)に分け、就労支援機関のネットワークを構築、強化します。」

 「障害者就業・生活支援センターは、各ブロック毎に1ヶ所設置し、すべての区市町村で区市町村障害者就労支援センターを実施します。」とある。

 ※らいむの事業は、後者の区市町村障害者就労支援センター

 キーポイントは、(国制度の)障害者就業・生活支援センターを各ブロック毎に1ヶ所設置するということと、「おおまかな地域エリア」という微妙な境界線で描かれた「ブロック地図」にある。

 町田市は、当然、多摩南部ブロックに含まれるが、現在、就業・生活支援センターのある国立市(多摩北部)と八王子市(多摩西部)が、「おおまかな地域エリア」の境界線の中では、微妙に多摩南部と重なり合っている。

 今年度、八王子市に障害者就業・生活支援センターが設置され、その守備範囲は、八王子、日野、多摩、稲城、町田の5市と東京都から説明を受けた記憶もあるが、今回のこの「宣言」に記された「ブロック」から考えるならば、就業・生活支援センターを町田に誘致できる可能性が復活したと言えるのではないか?

 「障害者就業・生活支援センターがコーディネート機関となり、ハローワーク、区市町村障害者就労支援センター、特別支援学校、地元の商工機関等が連携し、障害者一人ひとりの就労を支援していきます。」という文言もあるが、就労支援においては、特にハローワークとの連携が重要になるので、私個人としては、理想としては、就業・生活支援センターは、ハローワーク管内に1ヶ所が望ましいと考えている。

 多摩地区のハローワークは、三鷹、立川、青梅、八王子、府中、町田の6ヶ所。北部、西部、南部の配置で考えるならば、三鷹=立川、青梅=八王子、府中=町田のペアが地理的条件で考えたときのベストの組み合わせになる。

 そうすると、多摩南部ブロックの自治体は、ハローワーク府中とハローワーク町田の管内のなる府中、稲城、多摩、調布、狛江、町田の6市で構成するのがベストではないかと思う。

 町田市に2つ目となる支援センターは、すべて市単独補助でやるよりも、国制度を活用し、国基準の金額に、市が独自に加算をおこなう方式で考えた方が、運営面でも事業面でも充実が図れるに違いない。

 2つ目のセンターのコンセプトがまだ十分に検討できていないのであれば、拙速に公募をかけるのではなく、ここはじっくりと腰をすえて、(国制度の)就業・生活支援センターを町田に誘致するという施策を練り上げて、東京都や国との協議にとりかかっていただきたい。

 決して、脅しをかけているわけではないが、今のまま拙速に事を運べば、まちがいなく、町田市の就労支援事業は、崩壊してしまう。万が一、公募にどこも手を挙げないで、事業受託者が決まらない場合、市が直営でこの事業を担うという覚悟と体制があるのならば、それはそれで構わないとも思うが、本当にそんなことが可能かどうかは、おそらく、わかっていらっしゃるものだと思う。

 市単独でも2つ目のセンターを立ち上げようという意気込みは、もちろん高く評価するが、せっかく、活用できそうな制度があるにもかかわらず、それを活用しようとしないのは、「昔の町田」のやり方で、今の時代にはそぐわないのではないかと思っている。他の5市の担当者や福祉関係者も、このブログを読んでいるかもしれない。

 町田市担当者の速やかなアクションを期待したい。

(天野)

 

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予定の公募スケジュールでは、「拙速」の批判は免れないと思うのだが…

 昨日、地域福祉部長から、次年度の就労・生活支援事業の実施に関する町田市の方針を「正式」に伺った。(「正式」にお伝えしたという言葉をお聞きしたので、今回のブログの記事とさせていただいた)

 12月2日に開催される障がい福祉事業計画審議会、12月3日に臨時開催される就労・生活支援推進協議会でも、同じ説明がなされるということだが、今後、方針を詰めるにあたって、これまで事業を受託してきているウィズ町田としての意見を参考に聞かせてほしいというご要望を併せていただいた。

 要点は、次の2点。

①次年度、新たに2つ目の就労・生活支援センターを設置したいと考えている。

②事業受託者の決定は、2ヶ所とも「公募型プロポーザル」で決定する。

 と、いうもの。

 2ヶ所目を設置するという方針は、推進協議会や審議会の中での意見や議論を踏まえ、市長の判断として、担当部署に指示が出され、指示に基づき、担当部署から起案書をあげ、11月17日に決裁がなされたとのこと。(このあたりの市役所の複雑な手続きはよくわからないが…)

 公募のスケジュールについては、現在のところ、12月上旬~中旬の時期に、公募を公示し、説明会等を開催。1月末頃に、事業受託者を決定する予定であるという。2ヶ所目のセンターは、町田市の単独補助でおこなうかたちになるが、両センターの委託料ともに、財務との協議をおこなったうえで、予算案として、来年3月の市議会に提出されるので、委託料が幾らになるかということについては、まだ未定である。

 ウィズ町田からは、2つのセンターの役割分担と連携のあり方、また、2つのセンターの関係性の位置付け(2つのセンターは同格なのか、それとも本体と付帯といった位置付けになるのか)について質問させていただいた。

 上記については、地域福祉部障がい福祉課内で検討中という回答で、検討の材料として、「らいむ」の経験から参考意見をいただきたいということであった。

 「何を基準にして2つのセンターを分ければよいか」という点に関しては、「考えられる分け方」(下記①~⑤)をいくつかお話させていただき、その長所短所についても簡単に付け加えさせていただいた。(こちらは省略)

 ①地域別に分ける

 ②障がい別に分ける

 ③障がい手帳の有無により分ける

 ④就労支援部門と生活支援部門で分ける

 ⑤就職の時期を境に、就労前と就労後で分ける

 

 担当者の方は熱心にメモを取られていたが、公募のスケジュール(予定)が決まっている一方で、中身の方の検討が、あまり(殆ど?)進んでいないことに対して、強く不安を覚えたので、次のような意見を述べさせていただいた。

 今回、市長が2つ目のセンター設置の英断をなされたことは、これまで協議会や審議会から改善要望として出されていた経緯から考えても、町田市の就労支援の将来にとっても、大変、すばらしいことであると思う。

 しかしながら、肝心の中身の検討が課内でも、まだ十分になされていない中で、公募のスケジュールだけが先行してる今の状況に対しては、「拙速」すぎる印象が拭えない。

 一番最初に考えなければならないことは、

「なぜ、2つ目のセンターが必要なのか?」ということだと思う。

 「現在のらいむの状況が大変そうだから」「障がい福祉事業計画や中期経営計画の掲げた2011年度に60名の一般就労移行目標があるから」というだけでは、説得力のある理由にはならない。

 「らいむの何が大変で、どこをどう改善していけば問題解決につねがるのか」「目標数値を達成するためには、具体的にどんな努力や工夫をしていくことが必要なのか」ということを徹底的に考えてみることが必要だ。

 らいむの件に関して言えば、これまで、協議会の場や要望書などを通して、「適正規模」の問題を提起してきている。適正規模は、単純に登録者の数だけで測れるものではない。むしろ、登録者ひとりひとりに対応した支援の質や密度の総和(もう少し簡単に考えれば、支援総数)から見ていかねばならないと思う。そして、そのような検証をきちんとやっていくためには、今回提示されている公募のスケジュールの中では、あまりにも時間が足りないように思える。

 折りしも、日本経済新聞の文化欄(最終頁)に連載されている『私の履歴書』(現在進行中は、JR東日本相談役の松田昌士(まつだ・まさたけ)氏の『履歴書』)コーナーの18日、19日の記事には、旧国鉄からJR各社に民営化される「その時」をはさむできごとが書かれていた。

 1987年3月31日から4月1日に日付が変わった瞬間に、国鉄からJRに引き継がれた鉄道事業。1日として、あるいはダイヤに記された数多の運行車両の1本たりとて、新会社に事業を引き継ぐことを理由とした運休など許されない状況の中で、移行をやり遂げる「その瞬間」を迎えるまでには、綿密な計画と周到な準備がなされてきたことは想像に難くない。

 「全国を股にかけた鉄道事業の移行と比較するのは、どんなものか?」というご意見もあるかもしれないが、規模の違いこそあれ、質的にはまったく同等のものではないかと考えている。

 そういったことから、今回、伺ったお話に対して、次のような意見を最後に述べさせていただいた。

 2つ目のセンターを設置するという市長の英断は高く評価する。しかし、折角の英断が現在の状況のままでは、へたをすれば、「大混乱」や「失政」につながってしまう。公募に際しては、当事者・家族を含めたもっとたくさんの人の意見を聞き、様々なシュミレーションを検討したうえで、誰もが納得のいく(安心できる)明確なビジョンを打ち出すことが大切。こうした丁寧な手続きを進めていくことを考えると、はっきりいって、12月に公募をかけるというスケジュールは到底不可能。できることならば、次年度1年(難しいようならせめて3~6ヶ月)かけて、じっくりと具体化していくことが必要。と。

 おそらく、現場レベルでは、上に記したような意見に共感していただけるものと思っている。そんな意味もこめて、公式な協議を終えたことを確認してから、部長には、敢えて、こう申し上げた。

 「部長は、今年度限りで定年を迎えられる伺っているが、今、市長に進言できる立場にあるのは、部長しかいない。現場に無用な混乱をもたらさないためにも、また、就労支援事業を利用する障がいのある人のためにも、市長の英断は尊重しつつも、なおかつ、十分な意見集約と検討のための時間を持てるよう、事業(公募)の実施時期の検討について、市長に直接、お話していただきたい」と…。

 この間も、このブログを読んだ障がいのある方やご家族から、「らいむは本当になくなってしまうの?」という不安の声をいくつもいくつも頂戴している。

 法人が受託している事業であり、実際に、この5年間、毎年400万円にものぼる赤字を法人が補填している現状のある限り、天野個人の判断ですべてが決まるわけではないし、受託者の選定は町田市の領分ではあるが、基本的には、次年度の事業継続に向けて、手を挙げていかねばならないと考えている。

 せりがや会館の退館時間まで残り5分を切ってしまったので、今日のところは、報告と意志表明をしたところで終わりにします。

(天野)

 

 

 

 

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『バック・トゥ・ライフ』 ~再生の物語~

 いつもらいむのブログをご訪問いただき、ありがとうございます。「この土日に更新を!」と考えていましたが、土曜日はウィズ町田後援会のイベント、日曜日は、きょうされん全国大会の分科会でお世話になっている画家の古澤潤先生の個展を訪ねていて、結局は更新できず仕舞いでした。

 すっかり、そんなときの定番になってしまいましたが、書き上げたばかりの次号の「ウィズ町田」広報誌の記事をお届けします。

 「次年度のらいむは一体、どうなってしまうのか?」とたくさんの方にご心配をいただいています。今回の記事の最後に書いたことが、自分も含めて、らいむの職員の偽ざる気持ちです。

 今週の水曜日(19日)の夜、町田市の部長・課長とウィズ町田とで、公式な協議をおこなう予定です。協議の内容については、もちろん、差し支えのない範囲(町田市側が了承した範囲)で、19日以降にまたご報告させていただきます。

 それでは、記事をお楽しみください。

 

 タイトルは少し気障な感じもしますが、「『バック・トゥ・ライフ』 ~再生の物語~」とさせていただきました。

 以下、本編です。

 石田 衣良の短編集~『約束』~(角川文庫)は、「そういえば、近頃の自分。涙を流したことなんか、ちっともないなぁ」という人に、ぜひ読んでいただきたい一冊だ。

通り魔の凶行によって、目の前で突然、親友のヨウジを失ってしまった10歳のカンタ。PTSD(心的外傷性ストレス障害)から、自傷行為を繰り返し、学校にも行けなくなってしまう。「ほんとうはぼくが死ねばよかった」と思いつめ、「もう終わりにしよう」とちいさなカッターナイフを握りしめて、嵐が吹き荒れる真夜中に家を出る。

 ヨウジとの懐かしい思い出の場所を巡って、最後に辿りついたのは、ヨウジが死んだ小学校の校門前。いつのまにか雨も風もやみ、静けさに包まれた校門から、死んだはずのヨウジがあらわれる。

 「ヨウジはぼくの誇りで目標であこがれだった。」

 「ありがとう。カンタはぼくにはお守りだった。」

 「カンタにはこれからたくさんのものを見て、経験して、大人になってほしい。それでいつまでもぼくを忘れないでいてほしい。…(中略)…最後の力の一滴が枯れるまで生きよう。ぼくはカンタといつもいっしょにいる。カンタには自分自身とぼくのために生きてほしい。ぼくはカンタともっと生きたいよ」

 朝日の中で目覚めたカンタは、ヨウジとの約束を胸に、立ちあがり、歩きはじめる。

  (第一話『約束』のあらすじ)

 二〇〇一年六月に大阪で起こった付属池田小学校の痛ましい事件をモチーフにした表題の『約束』を始め、7つの短編からなる作品集だが、これらの連作に共通するテーマは、著者の言葉を借りれば、「バック・トゥ・ライフ」だ。『あとがき』には、著者の次のようなメッセージが記されている。

 「かけがえのないものをなくしても、人はいつか自分の人生に帰るときがくる。さまざまな喪失によって止まってしまった時間が再び流れだすときがくる。…(中略)みんな、今はうつむいていてもいいから、いつかは顔をあげて、まえにすすもう」

 愛する人をなくした哀しみ、病や障がいを負った苦しみ、どんなに努力しても報われない虚しさ、幸せそうな世の中から自分ひとりだけが取り残されてしまったように感じる焦りや孤独感、…。

 人は人生の中で、時に、心に深い痛手を負い、「もしかすると、自分は、このままもう二度と立ちあがれないのかもしれない」という言い知れない不安に苛まれることがある。

 それでも人は、いつかはその苦しみから立ちあがり、もう一度、歩きださなければならない。たとえ、どんなに時間がかかったとしても、生きている限りは、自分の人生に正面から向かい合って、歩いていかねばならない。生きているものの務めとして。そして生きていることの証として。

 

 私が勤務する就労支援センターらいむに、相談に訪れる人の中には、自分のことや過去のことをなかなか話しだそうとしない人が少なからずいる。

 就労支援をしていくために、最低限、知っておかねばならない情報があるので、いつまでも何も聞かないままでいるわけにはいかないが、面談の中では、できる限りの時間をかけて、本人が自分から話しはじめるのを待つように心がけている。

 やっと聞くことができた問題の重さや傷の深さに言葉を失うこともしばしばある。それでも何よりも、私たちを信じて、勇気をだして語ってくれることをうれしく思う。

 「止まっていた時間が再び流れだす」「顔をあげて一歩前に踏みだす」、その瞬間に立ち会えることを喜びに思う。

(天野)

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障がい者就労支援の発展のために「就労支援係」創設の英断を望む

 11月10日の障がい福祉事業計画審議会の席で、この間の「公募」をめぐる問題について、11日号の広報に掲載されなかった理由として、「正式な公募の決定には至っていないので…」というニュアンスで説明がなされたという話を聞いた。

 この説明を聞いた人の受けとめ方によっては、「では、らいむのブログ(10月23日)に書かれていた『公募を前提とした関係修復のための協議の場を設けたい』という申し入れを町田市から受けたという記事は事実と異なる、『嘘』の記事なのか?」というあらぬ疑いをかけられてしまいかねない。

 実際のところ、ウィズ町田としては、10月21日の時点で、町田市から、「公募を前提とした関係修復のための協議の場を設けたい」という申し入れを受け、「公募を前提とする理由は何か」という問いに対しても、「理事者(副市長)との協議の結果、委託事業のあり方として一定の時期に公募をおこなうことは必要なことだという考えにいたった」という説明を受けている。

 更に、ここでは全文は紹介しないが、10月23日付でいただいた課長名での文書回答の中にも、

「3.町田市の就労支援について、市としての今後の考え

◎就労・生活支援センターの運営」の項目に、

 「効果的・効率的で継続可能な就労支援の方法について、就労率の上昇・離職率の低下(定着率の上昇)・三障がいへの対応を含め、町田市障がい福祉事業計画の数値目標を念頭に置いた条件でプロポーザルによる公募を行います。応募事業者が提案する新たな手法も取り入れることで、最終的に2009年度以降のあり方を決定します」

とある。

 要は、公募という方針は一定、固まってはいるものの、10月23日以降、11月10日の審議会までの間に、正式決定のための起案があげられていないか、あるいは起案はあげたものの、何らかの理由で10日までの時点で、市長決裁がおりていないという事情ではないかと考えられる。

 と言うわけで、11月10日の町田市の説明も、このブログに書いた内容も、どちらも「事実」であるとご理解いただきたい。

 

 公募の問題とは別に、今後の町田市における障がい者就労支援の発展を考えた場合、「就労・生活支援事業」の実施主体者である町田市が就労支援に対して明確なビジョンを持ち、積極的な姿勢を示すことが強く望まれる。その点に関しては、高く評価すべき内容が、上記の文書回答の中に、「◎市の体制強化」という項目としてある。

 「課として、事業部門の担当者に加え、福祉係、保健福祉係からも担当を出してチームを作り、国、都の情報収集、市における障がい者就労の現状把握など積極的に取り組んでいく必要があります。

 その第一歩として、チームが先進各市を視察して、課題のひとつである『市と就労支援センターとの連携』について学び、市としての障がい者就労に対する考え方を明確にしていきます。

 その上で、1~2ヶ月に一回、就労・生活支援センターと市で、連絡会を行い、現在の課題、改善策について調整する機会を設けて、連携を強化します。」

 先日も職場訪問でお隣の八王子市にある大手企業を訪ねたときに、こんなお話を伺った。

 「八王子市の職員は、非常に障がい者の就労支援に熱心で、支援機関との連携もよく取れている。だから、安心して企業は八王子市に拠点を構えることができる」と。

 八王子市では、すでに障がい福祉課内に就労支援担当を置き、庁内実習や全庁横断的な庁内ワークシェアリング事業を実施している他、職員自らが障がい者を雇用する企業訪問を積極的におこなうなどパワフルな活動をおこなっていると聞く。

 この八王子の障がい福祉事業計画における2011年度の福祉的就労から一般就労への移行目標数は48名となっている。周知の通り、町田市の目標数値は、その上をいく60名であり、この数値を達成するためには、当然、八王子市以上のとりくみが必要となってくる。

 文書回答の文言では、まだまだ「チーム」(おそらくは、PT=プロジェクトチーム)の域に収まっているが、ここはもう一歩推し進めてもらって、「就労支援係」の創設を考えていただきたい。

 既存の部署での増員要求すら難しいという話も聞くが、「就労支援係」を創設することで、特例子会社など障がい者雇用に熱意のある企業を新に町田市に誘致するといった展開も期待できるだろう。そうすることで、障がい者の問題だけでなく、産業誘致による法人税の増収や雇用創出といった波及効果も生まれてくるに違いない。

 それもこれも、結局は町田市のトップである市長の英断にかかっている。こんな小さなブログからの「発信」に過ぎないが、「声」が市長のもとに届くことを切実に願っている。

(天野)

 

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11月10日の審議会で説明と意見を聴くことが必要ではないか

 11月11日号の広報に、「障がい者就労・生活支援事業」の事業受託者公募の記事が掲載されるという話を聞いて、昨日のブログに、この間の町田市とのやりとりについてまとめた記事を掲載するつもりで準備をしていた。

 公募の記事が掲載された時点で、おそらく賛否両論様々な意見が飛び交うことが予想されるが、中には、「らいむ及びウィズ町田が、町田市との協議に応じないため、このような事態になってしまった」という意見が出されるかもしれない。そのことを憂慮して、「応じない」のではなく、条件が整わず「応じられない」のだということを説明する意図で記事をまとめていた。

 20時過ぎに、らいむの電話が鳴り、「とりあえず、11月11日号の広報に公募の記事が掲載されることはなくなった」という情報を受けたので、ブログの記事掲載を保留することにした。

 町田市との協議に応じる条件として、ウィズ町田からは、協議の場に「行事役」として第三者に立ち会っていただくことをお願いしている。これまで、重要な発言が、再三、撤回されたり、取り消されたりしている状況に対して、市と事業者だけの密閉された場で協議に応じることの不安を強く覚えること、審議会の有志委員から部長宛の要望書も出されている状況を考えれば、むしろ、第三者が加わることで、より公正な協議の場になると考えているからだ。

 11日号の広報掲載が延期されたとはいえ、すでに公募記事の原稿はできあがっているはずなのだから、まずは、10日に開催される「町田市障がい福祉事業計画審議会」の場で、公募の方針を明らかにし、公募の進め方やどのような受託者を選ぶのか、また、今後のこの事業のあり方について、審議委員各位の意見を仰ぐことが必要ではないかと思う。

 それすらできないということなら、一体、何を期待すればいいのだろう。

(天野)

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