秋の夜長、たまには読書を楽しんでみてはいかがでしょうか?
明日は早朝からの職場内支援が控えているので、今日は少し楽をさせていただき、次号のウィズ町田の法人広報紙に掲載予定の原稿をアップさせていただきます。
「理事長の本棚」なんてコーナーにしたおかげで、毎月、何冊も本を読まなければならない状況を自分でつくってしまったことをちょっぴり後悔したりもしています。
読書の時間は、専ら、登録者の方の職場支援に向かう途中の公共交通機関の中と、就寝前の布団の中となっています。最近では、布団の中の方は、本を開くと同時に、目の方が閉じてしまうという「条件反射」が強まり、困っています。
電車の中は、以前は活字に目をやる人がもっとたくさん居たと思うのですが、今は携帯でメールやゲームを楽しんでいる人が大半を占めているようです。携帯メールはまったく使えない自分としては、どうして親指ひとつで、あれだけタッタカタッタカとメールが打てるのかが、不思議でたまりませんが…。
読書の秋です。たまにはじっくりと活字と向かい合ってみることも良いのではないでしょうか?
(以下、広報紙の原稿です)
「(人は)何のために働くのか?」
誰もが少なからず一度や二度は自問してみたことのある問いだろう。(もしも、現在の仕事に行き詰まりを感じている人なら、毎日、何回も自問自答しては、ため息をついているかもしれない)
考えはじめてはみたものの、結局は、「生きるためには働かねばならない」という安易な答えに行き着くこともしばしばだ。
「働くのは金のためであり、しょせんはそれに尽きる」と吐き捨てて、問いかけそのものを否定してしまう人もいる。
大庭健(おおば・たけし)氏の著書、『いま、働くということ』(ちくま新書)は、そのような『シニシズム』(ものごとに正面から立ち向かおうとするのを冷笑する考え方)が蔓延する社会に警鐘を鳴らし、いま一度、働く意味(それは生きる意味でもある)について真剣に考えてみることの大切さを提唱している。
正直、ざっと通読したくらいでは、まったく歯が立たない難しい本だが、就労支援が大きく謳われている現在の障がい者福祉に関わる職員の皆さんには是非、時間をかけて読んでいただきたい本だ。
まずは、社会の常識を識り、また、働く意味を考えていく前提として、日雇い派遣をはじめとする非正規就業の問題や、介護・福祉などの「福祉労働」の低賃金の問題など、今日の劣悪な状況に至るまでに、いかにして働く環境が破壊されてきたかについて触れている第Ⅰ章(この章と結びは比較的、平易で具体的)をしっかりと読み、頭に刻むことからはじめてほしい。
「(人が)働くということは、『間柄をなして・自然に対して』働きかけていく協業に参与することである」
「働くということは、すなわち新たな生命が育っていくのを見守り、支えていくことであった(いのちの再生産)」
「『プロジェクトとしての生』という人生観のもとでは、 (…中略…) 快や満足の妨げになるような特性・資質はおしなべて“ハンディキャップ”という負の価値しか認められなくなる」
「(働く喜びとは)『間柄をなして・自然に対して』働きかけていく協業において、自らの役割を遂行し、自分の社会的存在が承認される喜びでもあった」
第Ⅱ章からは、かなり難解になるが、途中で投げ出したり、あきらめたりしないで、がんばって読み通してほしい。
日々の自分の仕事や、普段、関わっている利用者の人たちの姿を思い浮かべ、引きつけながら読むことで、きっと理解の糸口がつかめるだろう。
財団法人ヤマト福祉財団の『障がい者クロネコメール便配達事業』のパンフレットの表紙の写真はスワン町田店のSくんだ。
らいむに登録したときは、家から外に出るのもやっとという状況だった。それが今では、どんな雨の日も風の日も、自転車に乗って、メール便の配達に出かけていく。
その姿はとても凛々しく、誇らしげだ。
パンフレットには、こんなコピーが記されている。
『私を、待っていてくれる人がいます。』
そこに「待っていてくれる人」がいるということは、自分の社会的存在を認めてくれる人がいるということだ。他者の期待に対して応えることができたという喜び。
「お役に立てている」「やっと一人前になれた」という安堵感が、更に前に向かおうとする気持ちの足場となる。
メール便を配達しているSくんと街角ですれちがった。その姿がすっかり街に溶け込んでいることがとても嬉しかった。
『街で、障がい者が働いている。
そんな風景を、あたりまえにしたい。』
(パンフレットのもうひとつのコピー)
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